『SS』ちいさながと

・3日目
今日で田舎暮らしも最終日だ、今晩中には家に帰らないと明日からまた地獄の登坂の日々が待ってるんだからな。
と、いう訳でさすがに従兄弟達や妹の相手も遠慮させていただき、俺と有希は縁側でのんびりとさせてもらっている。
「ふあぁぁぁ…………」
大きなあくびが出る。静かなもんだ、風に乗って運ばれてくる緑の匂いが田舎を感じさせてくれる。
「眠いの?」
いいや、これだけ静かな状況も久々なもんでな。ちょっと退屈しただけさ、いつもの生活に戻ればまた文句だらけなんだけどな。
「退屈?」
うーん、昨日まで子供を相手にしてたからな。暇が出来るとそう感じてしまうのかもしれん。
「…………私は、あなたといて退屈したことはない。」
う、すまん。別にお前といるのが退屈ってわけじゃなかったんだ。有希の気持ちを考えてなかった俺が馬鹿だった、すまん。
「いい。あなたが側にいてくれれば、私は何もいらないから。」
チクショウ、かわいい事を言ってくれるぜ。
「なあ、せっかくだから近所を散歩でもしてみるか? このままのんびりってのもいいが、お前もつまんないだろ。」
有希に思い出を作ってやると言いながらこれじゃ様にならんしな。
「……………行く。」
有希は俺の肩に飛び乗った。それじゃ行くか。


とはいえ別に名所旧跡が在るではなし、俺達はただ呑気に田んぼのあぜ道を歩いたりしている。天気は抜けるような晴天。気温も季節が早まったように暑ささえ感じさせ、まさに散歩には絶好といっていいんじゃないだろうか。
「あなたは………」
なんだ? 足をブラブラさせながら話しかけてくる有希の方に俺は顔を向けた。
「ここを歩いたことはある?」
ああ、ガキの頃はやたらと走り回っていた。街中に住んでる子供にとって田舎の風景というのは全て珍しく、森になんか入ろうものならまるでジャングルを冒険しているように思ったもんだ。
「行ってみたい。」
いいとも、俺もお前を連れて行ってやりたいよ。
こうして俺にとっては久しぶりに近くの山に入ってみた。夏には従兄弟達を連れて虫取りなんかに行くので慣れたもんだ。
しかし一人で来るのは本当に久しぶりだ、陽光を木陰が優しく遮る中を有希を肩に乗せた俺がゆっくり歩く。
歩いてみて分かるのが、自分が成長したってことだ。あれだけ前人未到のジャングルだと思っていた道は程よく整備された遊歩道に過ぎず、俺の行く手を阻んだ木々の群れは今では俺の胸までもない草むらとなっている。まあ思い出というのは美化されるもんだな。
ただ、上を見上げた時の鬱蒼とした葉の茂りとそこから差し込む陽の光の眩しさはいつになっても変わらないと思う。
「どうだ有希、森林浴ってのもなかなかいいもんだろ?」
有希は1ミリの肯定を示してくれると、
「ここは…………生命の息吹を感知できる。」
生命の息吹ねえ、ずいぶんと文学的な表現だな。
「あなたがその心を私に与えてくれた。私は読書で得た知識を今実感できている。」
そうか、お前が満足してくれるならそれでいいさ。
「…………生きている、それが喜びである、ここにはそれがある。」
そうだな、そしてそれを感じるお前も今生きているんだぜ。
嬉しそうに有希は頷いた。

山を中ほどまで登ると、急に視界が開けて一面の草原が広がった。小さい頃の俺にとって、ここはゴールだった。本気で頂上だと思ってたんだ。
まあこの先にまだまだ道は続いていたし、その頃には頂上に登ろうなんて気も無くなっていたんだけどな。
「ふう…………」
適当に木陰のあるところに座り、有希を肩から降ろす。
有希は足を伸ばして座った俺の膝の上に俺と向かい合うようにして座った。
「暑くないか?」
「平気。」
「そうか、悪いが少し休憩させてくれ。」
そう言って木陰を作ってくれている木に背中を預ける。しまったな、弁当でも持って来ればよかった。
「大丈夫?」
なーに、散々坂を登って登校したり週末には訳もなく散策したりで結構脚力には自信があるんだぜ? 単にここが俺としてはゴールというイメージが強いだけなんだ。
「そう。」
と言いながら有希は俺に身体を預けるようにして座り直した。
同じ様な格好で空を流れる雲をただ眺めたりなどしている。その時間がとても貴重なものに俺は思えた。
「風が…………心地良い………」
「そうだな……………」
うっすら浮いた汗を乾かすような風の涼しさに俺はつい目を閉じた。
そのまま両手で俺の上に座る有希を包みこんで。
有希の温かさに生命の息吹とやらを俺も感じつつ……………………俺の意識は途絶えた。
その薄れている意識の中で、俺は元の大きさの有希を抱きしめて寝ていたような気もするが、夢かもしれない。


「……………起きて。」
ん? 有希か、悪いな寝ちまったか。
「いい。私も先ほどまで寝ていた。」
そうなのか。そりゃ残念だ、お前の寝顔が見れないとは。
「それよりも下山するべき。」
なんだと? 周りを見回せばすでに夕闇が迫ろうとしている。一体何時間寝てたんだよ?!
「私の体感時間で2時間32分49秒が経過している。」
そりゃ寝すぎだろ! 俺は慌てて起き上がったのだが、体勢が悪すぎたのか身体のあちこちが痛い。
「痛えっ!」
なんだかわからんとこの筋とかがものすごく痛いんだよ、でも休んでる暇もない。肩に有希を乗せ、俺は全力で山を下った。
結局家に帰り着いた時にはすっかり陽も暮れ、帰りの支度を済ませていた両親からこっぴどく叱られた。
「迂闊、私の責任。」
そう言って小さな身体を小さく丸めてしまった有希を慰めるのに帰りの車内の時間を全て費やしたのは言うまでもない。


家に帰るとすぐに風呂を沸かした。そして有無を言わせず一番風呂をいただく。
妙な体勢で寝てたうえにそのまま長時間車の中なんだ、このくらいは勘弁してくれ。
「あー、なんだかんだで家が一番だな。」
風呂の中で伸ばせるだけ足を伸ばすと、俺は一人ごちた。とにかく疲れが取れてく気がする。
「私は…………楽しかった。」
そうか、そう言ってもらえて俺も嬉しいよ。俺だって別に楽しくなかったわけじゃないぜ。
「また…………」
そうだな、次は夏休みか。また団長様から許可を勝ち取らないとな。
「楽しみにしている。」
俺もさ。風呂に浮かんだ有希が足をバタバタさせているのを見ながら、俺は明日のハルヒへの不思議が無かったことの言い訳など考えていた。
「………………」
うわっ!なんだよ、いきなりお湯をかけるな!
「他の女のことを考えてた。」
あのー、これは明日の言い訳であって、それは俺の明日の運命を左右しかねな………
「…………」
はいはい、俺が悪かったよ。有希を抱きかかえてから頭を撫でてやる。
「……………いい。」
有希は少し拗ねたような、でも嬉しそうな顔で俺の自由にさせてくれていた。


結局俺達が風呂でのぼせて疲れきったまま寝てしまい、翌日の学校に遅刻寸前に飛び込んでハルヒから色んな意味で絞り上げられたのは多分別の話だろう。