『SS』キョン……、の消失 7

藤原さんは一言。
「上からの指示は現状維持だ。現在、特異点は確認されてない。」
はっきりそう言った。正直拍子抜けだ、あたしのこの変な感覚は未来にはなんの影響もないらしい。
「あくまでも現在において、だ。僕自身がこうしてお前らといるのは規定事項に沿っているからだからな。」
九曜の部屋に集まるのも?
「そうだ、原因の特定までは出来なかったがな。しかし、これ以降にイレギュラーが起こらない確証はない。」
九曜を見ながら藤原さんが言った。九曜は無言。
なにか九曜を疑ってるの?
藤原さんの目線に不穏なものを感じてしまったが、橘がその雰囲気を壊す。
ナイスだ、ある意味空気を読んでいる。
「なら今度は私の番なのです。『組織』にキョンさんが見たという北校の生徒と思われる女性の情報を調べてもらいました。」
まあ『組織』ならそのくらい朝飯前なんだろうな。
「でも……………残念ながら該当する人物は北校には居ないのです。」
なんですって?!そりゃ頭の中のイメージみたいなもんだけどさ。
「はい、ですからキョンさんの幼い頃のイメージも考えて、ここ10年の北校の卒業生まで範囲を広げてみたのですが、そんな女子生徒はいないんです。」
ますます分からなくなった。まさかあたしって妄想の世界の住人なんじゃないかってくらいに。
「でもですね?キョンさんの持ってるイメージがそれだけはっきりしてるならまだ捜索の手はあるのではないですか?」
そう言われると、とたんに自信も無くなってきちゃうのよね。でも……………
「ねえ、帰りにすれ違った北校の人のことは分かる?」
あのすれ違った時感じた既視感。それに賭けてみたい。
「うーん、あんな髪の人ならすぐに分かりそうですね。わかりました、調べておきます。」
お願い。あたしは橘に頭を下げた。ニッコリとオーケーサインをだす橘。
さて、本命のご登場といきますか。
「ねえ九曜?さっきまでのあたし達の話を聞いててどう思った?というより、お前はどこまで分かっているの?」
九曜は何も言わずにあたし達の話を聞いていた。
その九曜がゆっくりと湯のみを口に運び、一息でお茶を飲み干して言ったのが、
「―――――あなたが――――見たの―――――は―――――恐らく何者かの―――時空異相同位体―――――」
というわけの分からないものだった。
あー、ごめん九曜。もう少し分かりやすく話をしてもらうと助かるんだけど。
その九曜のフォローに入ったのは意外にも藤原さんだった。
「なんだと?僕には時間震の揺らぎは感じなかった。つまりこいつの脳内だけに局地的な時間震が起こったとでもいうのか?」
うん、よけい分からなくなった。橘を見れば口が開いたまんまだ。やっぱり付いていけてない。
「微妙に―――――違う――――彼女の中の―――――記憶中枢に直接―――映像を送り込んだだけ―――――――時空は――――揺らがない――――――」
なんだかさっぱりなんだが、藤原さんには分かったようでしきりに頷き、
「つまり自分達の次元の光景をダイレクトに送信して、記憶そのものに埋め込んだのか。それなら何年前に行われたのかも特定できない。上手いやり方だな。」
ちょ、ちょっと待って!つまりあたしは、あたしの知らないうちに記憶を変えられたってことなの?
「記憶の改ざんではない。上書き、と言うべきだろうな。」
なにそれ?どっちにしてもあたしの頭の中をいじくられたってことじゃない!
「――――記憶を――――操作されないようにする―――――」
そう言った九曜がいきなりあたしの手首に噛み付いた。うわっ!なんか気色悪い!
ナノマシンを―――――注入―――――」
そ、そうなの?これで大丈夫な訳ね。
………………いや、大丈夫じゃない。何故ならこの行為そのものを、あたしはされたことがある!初めてのはずなのに!
しかし、さっきのような謎の人物も出てこないし、声も聞こえなかった。
どっちなの?効いてるの?
あたしの混乱をよそに立ち直った橘が九曜に聞いた。
「九曜さん、今回のキョンさんの言動の原因がわかりますか?」
「そうだな、記憶操作と言っても簡単なことではない。お前ら宇宙人とは違ってな。」
「こら!そんな言い方!
「ふん、こいつらなら簡単だと言っただけだ。」
「――――――鍵を―――――奪う――――――」
え?
「扉は――――――閉ざされようとしている――――――あるべきところへ――――――」
どういうことなの?何かにあたしが狙われてる?!
「どうやら佐々木さんの力を暴走させるか、奪いたい連中がいるようですね。」
橘がボソッと呟いた。待って、なら何であたしに変な画像が?
「多分、キョンさんの記憶をすり替えて私たちから距離を置かせようとしてるのでは?」
そうなの?
「まあ考えられなくもない。やや回りくどいがな。」
藤原さんも肯定する。それにしたって、何故あたしが?佐々木たちとあたしが距離を置いて何が得なのよ?
そう言ったら、全員呆れるような顔をしてあたしを見た。あの九曜ですら黒い瞳がかすかに開いたんだから。なんなのよ、もう。
「本当に貴様は神経が通っているのか?理解に苦しむ。」
「佐々木さん…………可哀想すぎるのです……………」
「―――――あなたは―――――なんでもない――――――」
みんなして酷くない?
「と、とにかく!キョンさんの身辺には『組織』から身辺警護をつけさせてもらいます!」
ねえ橘、気持ちはありがたいんだけど大げさにされても困るわよ。
「いえ、キョンさんに直接変化がある訳じゃありません。ただ、ご家族の事もありますので用心はさせてください。」
あ、家族の事まで考えてくれてるのね。なんだか申し訳ない気がしてきた。
「なんてことはないのです。キョンさんの家族、弟さんも大事な私たちの仲間なのです。」
そういえば夏合宿とかで弟にはあってるのよね。
「ごめん、家族についてはお願い。」
「はい!おまかせあれ!なのです。」
橘は何でか知らんが敬礼で答える。
「では僕は上の連中から同位体について聞き出してやる。同位体ならベースとなる奴が何処かにいるはずなんだ。」
言いながら藤原さんはもう立ち上がっていた。せっかちだなあ、この人。
「あー!私も行きます!ではキョンさん、お先に失礼します!」
橘も立ち上がって一礼すると藤原さんの後を追って行った。
あの二人、エレベーターで一緒になるはずだけど大丈夫なのかな?
そして、部屋の中にはあたしと九曜の二人だけになった。
「―――――おか―――――わり―――――」
いや、もうお腹一杯だから。だからその急須は下ろしていいわよ?
「――――――――」
急須を下ろした九曜は何も話さない。
「ねえ、本当にあたしは狙われてるの?」
1ミリの肯定。
「でもあたしは何も出来ない一般人なのに……………」
「―――――――大――――丈夫――――――」
九曜がはっきりと言った。それは初めて聞く強い口調。
「あなたに―――――――指一本―――――触れさせない―――――――」
宇宙そのものの様な黒く光の無い瞳にかすかに炎が揺れた気がした。
「あなたは―――私が―――――守る――――――」
そう、九曜の言葉は少ないがいつもあたしを安心させてくれる。
「わかった、まかせるわ九曜。ただし、あんたも無理しないこと!」
「―――――――――わかった。」
1ミリ頷いた九曜を見て安心しながら、あたしはもう一つの思いに囚われていた。
あたしは…………誰にこのセリフを言われたことがあるの?!
初めてのはずなのに聞いたことのある違和感。
安心感と不安を内面に抱え、あたしは家路に着いたのだった。