『SS』 ゴキくよう 〜激闘編〜

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 暑い。今年の暑さは例年以上だとテレビでもラジオでもネットでも言っていたが、大体涼しい夏というものを過ごした記憶がないのでいつだって暑かったじゃねえか。というか、暑くない夏の方が異常なので例年だろうが通年だろうが暑いもんは暑い。
 そして、今年の夏は俺の戦いも始まったのであった。築18年、家賃は四万と三千円。1DKの我が城に不法に侵入してきたヤツとのバトルである。
 俺は右手に伝説の対G戦専用武器であるところの『スリッパ』を持ち、左手には化学の粋を集めた必殺兵器『殺虫剤』を発射ボタンに指をかけているという重装備である。ちなみに殺虫剤って結構高い。安いのもあったけどここは奮発してみたんだが、なんとかオキシンとかにどこまでの信用性を持っていいのかは不明だ。
 しかし、人類が対抗出来る最高の装備に近い武装で固めた俺の目前には泰然自若としたヤツがいる。黒光りするボディ(髪の毛に見えるが気のせいだ)のニクイ奴。今も無表情に、俺が頑張って綺麗にしたはずの台所の隅で何かガサゴソしてやがった。一体何をしてやがるのだ、というか、こいつに表情などあるのだろうか。
 未だヤツは傍目から見れば呑気と言える程に動く気配を見せようともしない。気づいていない、ということはありえないのだろうが、人間を舐めている可能性は高い。くそっ、何様のつもりだ。
「…………」
 足音を忍ばせて距離を縮める。殺虫剤は遠距離攻撃アイテムだが、確実性を鑑みればより接近したほうが効果は高いのは自明の理であろう。それに、正直なところ殺虫剤の薬剤に対する信用が俺の中で薄いのだ。近接距離による直接打撃での破壊こそが最も有効な手段であろうと俺は判断した。唯一憂慮するべきは後始末だな、汁とか飛び散ったら泣くかもしれない。
 というか、アレが潰れる姿を想像したら怖い。いや、可哀想だなんて思ってはいけない。アレはあくまでGなのだ、人類の敵だ。心を鬼にするんだ。coolになれ、俺。
 そんな心の葛藤を秘めたまま、俺はゆっくりと聖剣エクスカリッパーを振り上げる。ヤツはまだ動く気配を見せない。
「吻!」
 俺は勢い良く聖剣を振り下ろす。必殺の念を込めた会心の一撃! これを喰らってまともに立てるGなどいるはずもない。勢いでしなりながら(ゴム製)唸りを上げて襲いかかる聖剣エクスカリッパー(100円)。
 だが、ヤツはやはり一筋縄ではいかなかったのだ。
「―――――とりゃ〜―――――」
「な、なにいっ?!」
 スリッパの裏がぶち当たる寸前でヤツは華麗に攻撃を回避して見せたのだ。先程までの佇まいが嘘のような俊敏な動き、まさに黒い弾丸の二つ名が相応しい。そんなもんないけど。

 カサカサカサカサカサカサ

 そのままヤツは凄まじい勢いで走り出す。手?を真横に広げ、足?を回転させて、信じられないスピードである時は直角に曲がり、ある時は円を描くようなフェイントを入れて台所を縦横無尽に駆け回りやがったのだ。
「うおおおお!! このやろおおおおおお!!」
 俺の繰り出すスリッパアタックは悉くかわされる。殺虫剤は狙いをつける前に標的を捉える事が出来ない。狭い台所に俺の怒声とスリッパが床を叩く音だけが響きわたる。
「はあはあ…………なんていう速さだ……」
 こちらの体力だけが奪われていく無益な鬼ごっこは深夜まで及んだ。チクショウ、あれだけ動いてたのに涼しい顔?しやがって…………
 もう限界だ、幸いな事にヤツも小休止していやがる。俺は遠距離攻撃を捨てた。つまり殺虫剤を置いた。もう、こいつに賭ける。
 俺は居合い抜きの様に小さくスリッパを構える。大事なのはスピードと正確性だ、最短距離を走らせてインパクト重視で一撃必殺を狙う。
 漲る緊張感、まだ蒸し暑い(というか、台所に冷房などない)のもあって、頬を汗が伝う。静かに距離を詰め、ほぼゼロ距離まで隣接した。
 静かに、気取られぬように、スリッパをそろりと上げて。
「死ねやあああああああっっっ!!!」
 俺の運動性能を超えた、と確信した必勝の一撃だった。あのスリッパならば竜王すらも打ち倒せただろう。しかし、その必殺の一撃すらも、
「―――――そおい―――――」
 ヤツはかわしてみせたのだ。それも例のポーズで。
「ぐおおっ!」
 俺といえば、思い切り床を叩きすぎた。手が痺れてしまい、膝までついてしまう。痺れた手を握りしめて少しでも回復を図る俺に、
「―――――これが元祖―――――ナニワのゴキブリ走法だ―――――」
 と言い残してヤツは隙間へと去っていった。





「…………ネタが古すぎるだろ!」
 元ネタに気づくまで呆然と見送ってしまった俺の叫びだけが虚しく台所に響くのであったとさ。

続きもあったりするよ?(笑)