『SS』 たとえば彼女か……… 26

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もう夕暮れという時間を過ぎて日は傾いている。長く伸びた影を振り返ることもないままに俺達は駅へと急いでいた。
「すまなかったな、結局デートらしいことは何も出来なくて」
もう少しは二人で楽しく、というデートが送れるものだと思っていたのに誤算続きで散々走り回るだけで終わった気がする。
「ううん、あたしは楽しかったよ。みんなに会えて、みんながキョンの事大好きで」
寄り添ったキョン子は幸せそうに、
「そんなキョンがあたしを好きだって言ってくれて。だから、あたしは今最高に幸せなんだなって思うんだ」
俺の腕にしがみ付き、頬を寄せてくれる彼女を見ると俺も思うんだ。これが幸福ってやつなんだなってな。
「――――――私も――――――理解した――――――これが――――――しわよせ――――――?」
惜しい、本当に惜しい。確かに皺寄せが九曜に来ているとも言えるだけに色々な意味で惜しすぎる。
「九曜、お前がいてくれて良かったよ」
手を伸ばしたキョン子に頭を撫でられた九曜が目を瞑る。これで俺に背負われていなければ、非常に心温まるシーンなのだが。これじゃまるでお出かけ帰りの家族みたいだろ。優しいなあ、ウチのお母さんは。
「もう、それは禁止だろ!」
キョン子に軽く脛を蹴られて、苦笑しながら駅まで歩く。
いつの間にか長く伸びた影は一つになって寄り添っていた。




駅の改札を通り(ここで九曜は内蔵ICOKAをチャージしていた)、階段を昇ってホームに向かう。渡り廊下を通って階段を下りればホームというところで、
「――――――むっ」
「ぐっ?!」
俺に乗っていた九曜が急に俺の首を絞めた。正しく言うと、俺の首に回していた腕で首を極めた。所謂スリーパーホールドである。いや、冷静に言ってる場合じゃない、本当に落ちるって!
「ちょっと九曜?!」
息が出来ない俺に代わってキョン子が九曜を嗜めてくれたのだが、
「――――――来た――――――」
九曜は呟くと自主的に俺の背中から降りたのだった。ようやく息が出来る、安堵と共に九曜を注意しようとした。
しかし、俺は何も言えなかった。言わせない雰囲気を周防九曜が纏っていたからだ。長門と対峙した時よりも重く険しい空気を漂わせている。
「おい、九曜、」
「――――――手を」
何? 手がどうした? するとキョン子が、
「…………何かあるのね? この先のホームに」
言いながら腕を差し出している。そうか、似たような光景が俺の脳裏にもはっきりと浮かんだ。長門ナノマシンを注入する時と同じだったのだ。
「――――――」
無言のまま、キョン子の腕に噛み付いた九曜は一瞬で唇を離すと、
「――――――あなたも――――――」
言われるままに腕を差し出す。九曜は俺の腕に噛み付いた。一瞬だけ悪寒のようなものが全身を駆け巡る。この感覚だけは慣れたくないもんだな、九曜が離れると歯形のようなものが残ったが一瞬で消えてしまった。
「――――――表面上に――――――非空間干渉スクリーンと――――――特殊遮光――――――対衝撃緩和シールドを――――――展開したわ――――――これで――――――あなた達は――――――守られる――――――」
表情は変わらないが、瞳に込められた強い光。そこまでの覚悟を持たなければならない相手がそこにいるんだな、九曜? 俺は思わず息を呑む。あの九曜がここまでしなければならない相手、それがホームで待っているというのか。
それでも俺達は帰る為にそこに行かねばならない。
「ありがとう、九曜」
キョン子が九曜の頬に手を当てる。
「だけど、帰る時は三人一緒だ。だから何があっても無理だけはしちゃダメ。どうしようもなくなったら逃げるからね? 分かった?」
俺もキョン子の意見に賛成だ、俺達が無事でも九曜が居なくなるってのは意味が無い。
「いいか、絶対に無茶するな。俺達よりも自分の事を優先してくれ、最悪の場合俺達と別れて逃げるんだ。大丈夫さ、少なくとも俺の命に危害を加えるような事はないはずだからな」
今までの流れで言えばの話にはなるのだけれど、確信に近い。相手はあくまで俺が九曜やキョン子と居る事を望まないのであって、俺達を直接どうにかしようというのとは違うはずだ。
「――――――了解」
九曜が数ミリの肯定をしたところで、改めて俺達は階段を降りる。たとえこの先に何が待ち構えていようとも、俺達は三人で帰るんだ。




ホームに下りた瞬間に異常なのは分かった。階段を昇るまで向かい側だったホームには人が居たのに、今は無人だからだ。よく見ればさっき通った道にも、見える範囲全てのホームにも人っ子一人いない。
「…………どういうこと?」
眉を顰めたキョン子が俺にしがみ付く。俺も不気味には感じるが、何となく落ち着いているのは経験値の差なのかもしれない。無人の空間になど何度も行ったことがあるからな、そんな芸当が出来る相手に心当たりも事欠かない。
そして、この空間を作り出した相手はゆっくりと俺達に向かい、無人のホームを歩いてくるのだった。
「まったく不本意です。大幅な情報操作と空間変位は後々影響が出るかもしれないのですよ? しかし緊急時なので仕方ありません、出来れば早めに終わらせてしまいましょう」
やはりあなたでしたか。あの九曜が用心というよりも覚悟を持って対峙しなければならない相手など限られているからな。その中で長門以外ならばこの人しかいなかったのだ。
流れるようなウェーブのエメラルドの巻き髪、落ち着いた雰囲気の微笑み、見慣れた北高の制服姿。
 情報統合思念体の宇宙人にして長門のお目付け役。
 そして、
「あ、あなた…………見たことある。あたし、会ったことある!」
 キョン子の世界から俺を救い出してくれた一人でもある、喜緑江美里さんは無人のホームにただ一人で佇んでいるのであった。
「お久しぶりですね、出来ればあなたにお会いするのは遠慮したかったのですが」
 キョン子に頭を下げた喜緑さんは、俺と九曜を見やると、
「事態を把握していない方々もいますので。世界はあなた達の自由にはならないと気付かないのは無知を越えて傲慢であると知りなさい」
 笑顔の中に射抜くような瞳の光。思わず怯みかける俺の前に九曜が庇うように立ち塞がった。それでも俺は喜緑さんと対峙しなければならない、九曜を押しのけて前に出る。
「どういう事ですか、喜緑さん? 俺とキョン子が会うことがそんなに悪いって言うんですか?」
「悪いですよ。最悪、と言ってもいいでしょう」
 何故だ? こっちの世界では確かにハルヒがいるが、それでも世界がいきなり滅ぶような訳ではないはずだ。それなのに最悪とは何て言い草だ。
ハルヒの機嫌で世界がどうにかなるっていうなら、あんたらの親玉が望む情報爆破とやらが起こるんじゃないのかよ!」
 最悪の出来事になる前にどうせ動くに違いないくせに、先回りするかのように俺達にちょっかいをかけてくるんじゃねえ! 俺は喜緑さんの言い方に憤っていたのだが、それを聞いた喜緑さんは笑顔のままで俺の怒りをくだらない事だと一蹴した。
「それが勘違いなのですよ。涼宮ハルヒの情報操作も懸念されますが、事態はもっと単純で性急です。物事はあなたが思うよりも複雑に絡み合い、全てに意味があるのですから」
 笑顔の視線は周防九曜に向けられている。俺には興味がないかのように。
「それを理解していないのが天蓋領域なのでしょうね。自らの能力の高さに溺れ、道理を弁えず、世界を滅ぼす自覚さえも無いのですか」
「――――――」
 睨みあう二人の間には入り込めない空気がいつの間にか流れていた。重い雰囲気に、九曜の隣にいる俺達の方が押し潰されそうだ。
「ちょっと待ってよ! 幾らなんでもその言い方は酷いわ、九曜が何をしたって言うのよ?!」
 思わずキョン子が喜緑さんを怒鳴りつける。再び暴走モードに移行しつつあるキョン子を宥めようとするが、俺も喜緑さんの一方的な言い方に不愉快というか、怒りを覚えていた。
 しかし、俺達の怒りは見当違いであり、喜緑さんには通用するはずもなかったのだった。それは次に喜緑さんが発した一言で決定的となる。
「世界とは、次元とはあなた方に理解出来るように説明すれば壁のようなものに守られています。だからこそ、それぞれの世界は干渉し合う事も無く存在出来るのです。互いに相互するような事象などはありますが、それは同一世界の差分のようなものであって存在を交換するようなものではありません。多少の違いを感じることがあるからこそ、世界は一つ一つ独立しているとも言えますね。つまり、我々の世界と似ているようで違う世界が存在し、互いに干渉しない故に世界は均衡を保たれているとでも言うべきでしょうか」
 分かりにくいが、世界は一つの殻に守られたものであるとでも思えばいいのだろうか。キョン子も理解出来ているのだろう、
「それは分かるわ。時間も同じ様なものらしいし、だから藤原さんも時間移動の時に壁のようなものを越えるって言ってたし。三年以上前に飛べないのだって時間障壁だか何だかのせいなんでしょ?」
「大体そのとおりですね。そこまでお分かりならば世界の壁を越えてあなたが存在することの異常も理解していただけると思いますけど」
「それは九曜が、」
「そう、天蓋領域は次元の壁を越えてあなたをこちらの世界に呼んだり、彼をそちらの世界に幽閉したりしました。その影響を考慮しないままにですね」
 一体喜緑さんは何が言いたいんだ? 回りくどく説明するくらいなら直接九曜が何をしたのか言ってくれ。俺の苛立ちは頂点に達し、
「いい加減にしてくれませんか?! 九曜のおかげで俺はキョン子に出会えたんだ、今更喜緑さんに何を言われても九曜を敵だとか思わねえよ!」
 あの喜緑さん相手に啖呵を切る。さっきから世界の壁だか次元の壁だか知らないが、九曜はそれを越えてキョン子を連れてきてくれたんだ。感謝することはあっても憎んだり出来るもんか! 
 だが、そんな俺を喜緑さんの冷酷な光が刺し貫く。
「だからあなたが世界を滅ぼすのです。あなたと、天蓋領域と、彼女が世界の危機を招いています。私はそれを止めるべくここにいるのですから」
「いい加減にしろっ! さっきから天蓋領域って、ちゃんと名前があるんだぞ! 九曜は九曜だ! あたしの仲間の事を悪く言うなら、たとえキョンの恩人でも承知しないわよっ!」
 キョン子が爆発し、俺も喜緑さんを睨みつける。そんな俺達を見ていてすら微笑みを絶やさない喜緑さんは、何事も無かったように俺達に問いかけてきた。
「次元の壁、と言いますが、あなた方はそれを実感したことがありますか?」
 そんなもん、ある訳が無い。
「当然です。しかし、この壁を天蓋領域が何度も行き来する事により崩壊させている。そう言えば事態の深刻さが理解していただけるでしょうか?」
「次元の壁が壊れる、という事か?」
 概ねそうです、と喜緑さんが頷く。それを聞いたキョン子の瞳が輝いた。
「それって、あたしの世界とキョンの世界が繋がるかもしれないってことなの?!」
 そうなれば凄いだろうな、ハルヒの望んだ異世界人が目の前に現れるってことなのだろう。しかし、そんなに上手い話は無かった。
「逆です。二つの世界の境界線が曖昧になれば、それを修復しようという力が働きます。しかし壁に綻びが生じている現在、互いが衝突して二つの世界が消滅するのです」
「なっ?!」
「これが真相です。涼宮ハルヒの能力などという可能性の問題ではなく、現実として世界は崩壊の危機に瀕しているのですよ。あなたと、天蓋領域のおかげで、ですね。私はそれを修正しなければなりません、情報統合思念体は天蓋領域の度重なる時空超越を次元崩壊を招く敵対行為と認識しました。よって、天蓋領域を排除、後に次元の壁を修復します」
 喜緑さんの宣言と共に空間が変化する。無人のホーム以外の周りの風景が消え、灰色の空間となった。これは、喜緑さんの情報制御空間ってやつか?!
「えっ?! 嘘、動けない……」
 何だと? キョン子の声に俺も自分の体が固定されたかのように動けなくなっている事を自覚した。いつの間に、というまでもなく喜緑さんの仕業だ。
「天蓋領域もあなた方に対処処理は施しているようですけど、下手に動かれると迷惑ですので行動は束縛させてもらいます。事が終わるまではそこで大人しくしておいてください。ああ、そちらの彼女についてはご安心ください、天蓋領域を排除後に無事に元の次元に帰らせてあげますから。それから空間を閉鎖して完了です」
「ま、待って! それって九曜を消すって事だろ! それに、あたしを帰して空間を塞ぐって事は、」
「はい、二度とあなたはこちらに来る事は出来ません。それに彼をそちらに行かせるつもりもございません」
「待ってくれ、喜緑さん! 俺の話も、」
「聞けません。言った筈です、事態はあなた方の想像よりも逼迫しているのだと」
くそっ! 指一本動かせない! 声が出るだけマシなのか、それとも意味が無いと判断されたのか? 駄目だ、喜緑さんは本気だ! 本気で九曜を消してキョン子を元の世界に帰そうとしているんだ。
そして、二度とキョン子に会えなくなる。長門も喜緑さんには逆らえないだろう、お目付け役というのも嘘じゃないはずだ。
ちくしょう! 嫌だ、キョン子に会えないなんて納得出来るか! だが、俺は周防九曜だって失いたくはないんだ! 俺に残された唯一の手段、それは叫ぶ事だけだった。
「九曜! 逃げろ! 俺達はいい、置いて行け!」
「そうだ! お前ならここから出れるはずだ、あたし達を置いて行って!」
キョン子も叫ぶ。俺達に危害を加える事を喜緑さんは是とは思っていない、それだけが救いだ。たとえ俺とキョン子が会えなくなるのだとしても、九曜が消えてしまうよりも何倍もマシだ。いつかは喜緑さんも納得させる事が出来るかもしれない、だから今は、
「――――――出来ない――――――」
「えっ?」
「あなたを――――――守る――――――それが私の――――――役目だから――――――」
宇宙の深遠を覗いたような、黒い瞳キョン子を見つめる。
俺は、こんな目をした奴を一人知っている。そいつも、俺を守るために戦ってくれたのだから。
そう、俺達に長門がいるように。
キョン子には周防九曜がついている。
「九曜……」
「――――――任せて――――――」
無表情の中に力強さを秘めて。
周防九曜は喜緑さんと正面から対峙したのだった。
「私は――――――約束した――――――三人で帰る――――――と――――――」
その姿を見た喜緑さんが感心したように嘆息する。
「あなたにも譲れないものがありますか。いいでしょう、私も全力を出させていただきます」
ゆっくりと喜緑さんが身構えた。普段の微笑みが消え、真剣な眼差しが九曜を打つ。
「――――――天蓋――――――なめんな――――――」
九曜、せっかくの見せ場だが、これだけは言わせてくれ。
その決めゼリフ、すっごいカッコ悪い。