『SS』 長門有希の複雑 4

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 さて、その日の団活後の話だ。
 平日で明日も学校があるというのに、若葉さんの歓迎パーティーをするとかで、ハルヒと朝比奈さんと長門と朝倉は、長門と朝倉が住むマンションへと、帰宅することなく直接向かったそうだ。
 俺は料理になると何の手助けもできないんで、一度帰宅してからということにさせてもらった。もちろん有希は俺と一緒にいる。
 ちなみに主賓の若葉さんは古泉と一緒に来るらしい。表向きの理由は、古泉の知り合いに脳外科と精神科の医者の知り合いがいるらしく、若葉さんの治療のために、ということなのだが、そんなものもちろん嘘で、古泉がどうも、若葉さんを機関にスカウトしたいらしく、俺に「記憶喪失の間だけでいいですから」と言って、珍しく強引に懇願してきたんだ。
 そりゃまあ、あいつの話からすれば閉鎖空間の青い奴を一撃で瞬殺したらしいから、戦力補強として推薦したいと思うのは当然なのかもしれん。レベル的には甲子園に出場できるかどうか微妙な学校にトップレベルの現役メジャー投手を入団させるようなものだろう。
 というわけで、俺は今、愛車のママチャリで右肩に乗っている有希と供に長門のマンションへと向かっていて、古泉には悪いが、俺と有希は一刻も早く若葉さんの記憶を取り戻して差し上げたいから、そのための話し合いをしていた。
 それがお世話になった恩返しでもあると思ったからだ。
「先ほどの彼女のセリフと、あなたに教えてもらったあなたと古泉一樹の話で分かったことがある。彼女は、おそらく涼宮ハルヒの創り出す閉鎖空間に侵入したことがあると思われる。そこで別の並行世界のあなたと涼宮ハルヒと遭遇した」
 なんだって?
「ところで、あなたは『永遠』は存在すると思う?」
 永遠? ずっと続くって意味だな。よく陳腐な恋愛話なんかで「永遠の愛を誓う」とか歯の浮くようなセリフがあるが……
「ひょっとしたら私はあなたに誤解を与えるかもしれない。でも聞いて」
 ん?
「わたしは『永遠』は存在しないと認識している。それはわたしとあなたの関係においても例外ではない」
 …… …… ……
 なんか妙な気分だな? 俺はひょっとして別れ話を切り出されているのか? 確か、若葉さんが俺とハルヒのことを漠然と知っている理由について話し合っていたはずなんだが。
 それとも有希は、若葉さんが自分を覚えていなくて、俺とハルヒのことを覚えているのが気に入らないのだろうか。
「やはり誤解させた。ごめんなさい」
 いやいい。俺が勝手に勘違いしただけだ。お前は「誤解を与えるかもしれない」と言ったんだからな。それをちゃんと留意しておかなかった俺が悪い。
 んで、それはどういう意味だ?
「どんなことであれ『限り』はあるという意味。わたしとあなたの関係は変わらないとしても、『命』は永遠じゃない」
 ふむ。そういう意味か。確かにお前と一緒にいられるのは死ぬまでだ。永遠じゃない、という意味からすれば確かに例外じゃないな。
「そう」
 で、永遠がないとして、それと若葉さんが俺とハルヒを漠然と覚えているのとどう繋がる?
「以前、古泉一樹は『新世界誕生とともにこの世界は滅亡する』と言っていた」
 確かにな。だから、あいつとあいつが所属する機関は閉鎖空間が出る度に《神人》退治に赴いている。理由は世界を守るため、だったか。
「その意味において古泉一樹の主張は間違っていないと思われる。しかし、それでは朝比奈みくるがこの時間平面から四年前より昔に遡れないことは立証できない」
 ……何か、随分難しい話になってきたな……空間と時間が絡んできたぞ……?
「そこでわたしはこう仮定した。涼宮ハルヒの情報フレア爆発は、宇宙開闢に当たるビッグバン同様、『世界の根源』を創造している、と」
「世界の根源?」
「そう。そして異世界と並行世界の区別もこの仮定なら可能になる」
 なんだ? 異世界と並行世界は違うものなのか?
「似て非なるもの。いずれにせよ次元を隔てた世界。しかし存在の仕方が違う。そして永遠がないということは限りがあるということ。無限ではないという意味」
 また話が飛んだな……
「飛んではいない。私が言いたいのは無限ではないということは、異世界の数も限度があるということ」
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「あなたが古泉一樹と興ずるオセロを思い出してほしい。あの遊戯の盤面は8マス×8マス。それを逸脱することはない。そのマスがすべて埋まっていると想像してみて」
 まあ俺が黒なら黒の方が多いし、白なら白の方が多いだろうな。
「その状態で、新しいコマを置くならどうする? 重ねるや線上、他のコマをずらすなどというルール無視の屁理屈は抜きにして」
 ん? もういっぱいなんだろ? 新しいコマなんて置けるわけないじゃないか。置くなら今、盤面にあるのをどれか一つどかすしかない。
「その通り。では同じく異世界が存在する、あえて表現するけど盤面があるとして、その数は決まっていて、もうその数の世界が存在しているとしたら、どうやって新世界は誕生する?」
 そりゃあ、古泉が世界を守っているってのを肯定せざる得なくなるな。ハルヒが世界を誕生させようとすれば、どこか別の世界が無くならないと新しく盤面にコマを置けないし、ひょっとして線上ってのは次元断層とかを指すのか?
「そう。そして、ここで『世界の根源』という意味が登場する。世界の根源とは世界の種子。そこから芽を出し、地上なら枝として地下なら根として、枝分かれしていき、その世界の並行世界が生まれる。並行世界は時間遡行した存在が時間を再構成することによって無限に等しい数で発生する。ただし永遠はないので数に限りはある」
 つまり、今、生えている樹木を抜いて、新しい種を植えるって意味か? 盤面のコマを一つ取って、そこに置くと例えてもいいよな。
「概ねそう。またもう一つ。『同じ種』も同一空間に存在することはない。これがコマを重ねられないという理由。例えるのであれば、あなたはこの世界に一人しかいないし、わたしもこの世界に一人しかいない。 それはすべて共通。生きとし生けるものであれば、種類は同一でも、同じ存在は二つない。理屈は『自分』は世の中に一人しかいない、と思ってもらえばいい」
 ううん……てことは同次元上では『同じ世界』も存在しないってことか。
「理解が早くて助かる。そして『世界の根源』がスタートだとすると、それ以前の世界は存在しないことになる。しかし『種』には以前の遺伝子が組み込まれている。あなたが4年より前の記憶があることも、そこに含まれていることで証明されている。しかし4年前以前の世界は存在しないから朝比奈みくるが時間遡行できないこともこれで説明できる。また涼宮ハルヒ自身もこの時空の一部でもあるから入れ替えられるのは存在する世界ということになる」
 漠然とだが言っている意味が解らないでもない。ただ何度か読み返さないと言わんとしている意味が解らないかもしれん。
 とりあえず要約すると、『世界』の数は決まっていて、新しい世界の根源を創り出そうとすれば、その世界の前の世界は根源=種子に遺伝子を組み込んで、どかされて、その種子を新しく置くことが新世界誕生であり、ハルヒの力だと。
「そして仮に涼宮ハルヒが『元の世界の存続と新世界の誕生』を模索したとしたら?」
 そりゃあ、『世界』の数は決まっているわけだから、前の世界をどかすわけにはいかないとなると別の世界を……って、まさか!
「その通り。まったく別で他の世界を盤面から弾き出すしかなくなる。その世界が、あの魔法使いの住む世界だったと思われる。これが彼女があなたと涼宮ハルヒを知っている理由。閉鎖空間を知っている理由。あなたも新世界誕生の際に涼宮ハルヒがどこにいるかを知っている」
 いったい別の並行世界のハルヒは何を考えているんだ。というか欲張りなのか? 同じものが二つ欲しいって我が侭にもほどがある。尊いものは一つしかないから貴重で大切なんだよ。
 って、ちょっと待て。じゃあ何か? 若葉さんが別の並行世界の俺が自分たちの世界を救ってくれたってのはそういうことなのか?
「おそらく」
 なるほどな。まあ、これで若葉さんが俺とハルヒと閉鎖空間の印象が残っている理由が解った気がしたぞ。
 などと言いながら、自転車を快適に疾走させている俺の目の前にはもはや馴染みとなってしまった高級分譲マンションが見えてきた。
 ちなみに歓迎パーティーについて特筆すべきことは何もない。
 SOS団プラス朝倉、若葉さんに、悪ノリしたハルヒが、古泉と若葉さんを送ってきた森さんと新川さんを引き摺りこみ、いったい、どうやってかぎつけたのか鶴屋さんと喜緑さんも加わって壮大などんちゃん騒ぎになったくらいだ。無かったものは酒くらいで、と言っても素面であれだけハイテンションになるのもどうかと思う。
 おっと、ハルヒ、朝比奈さん、長門、朝倉で作った満漢全席がとっても美味だったことくらいは言っておかなければ後が怖い。
 しかしまあ長門、朝倉、喜緑さんがいてくれたおかげで、初めて若葉さんと出会ったあの日のクリスマスパーティーの時と違い、有希に寂しい思いをさせなかったのは良かったかもしれないがな。


 ところで、この時はまだ問題はなかったんだが、翌日以降、俺たちは世界も巻き込んで明らかに異常事態へと向かうことになる。もっとも異常事態であることに気付いたのはSOS団とその関係者だけなんだがな。
 きっかけが何だったかというとこれは言うまでもなく、俺と若葉さんが寝食を供にし、登下校も一緒になることが要因で、有希も含めて俺たち三人はその構図に何の憂いを持っていなかったのだが、残念ながら何日も続けばそう思わない奴が出てくるのである。
 誰かって? そんなもの涼宮ハルヒに決まってるだろ。
 その引き金が何だったかというと若葉さんのこの言葉だったのだろう。
 ハルヒが歓迎会お開きで、解散するときに若葉さんを自分の家へと誘うとしたのだが若葉さんが断ったんだ。
 理由は、


「確かに涼宮さんに覚えはある気はするけど、より強く覚えがあるのはキョンくん。たぶん、キョンくんに会っている回数の方が涼宮さんに会っている回数よりも多いからだと思う。だから、記憶を早く取り戻すためにはキョンくんの傍の方がいい」


 もちろん、若葉さんに悪気はなかったはずだ。最善の方法を選んだに過ぎない。
 そして俺にも若葉さんに思うところはないし、記憶が無いわけだから若葉さんも然りである。
 聞いた当初、ハルヒもそのことは頭では理解できたのだろうけど、残念ながら心では理解できなかった可能性が高い。
 それゆえ、あんな事態を招いたのだろうが、俺がそれを、恐怖のどん底に叩き落される心境で知ったのは、もっと後になってからのことだ。
 若葉さんがこっちの世界に記憶喪失の状態で迷い込んだのが日曜日の話で、今日は土曜日だ。
 つまり、一週間が経過したわけだが、残念ながら若葉さんの記憶は戻っておらず、いまだ俺の家の居候となっている。
 その間に何もなかった訳でもなく、特に理数科目においてノーベル賞モノじゃないかと思ってしまうほどの出来事がいくつかあったんだが、それはまあいいだろう。
 物理の時間に量子力学を完全無視した上に相対性理論を根底から覆す実験を成功させたり、科学の時間に原子レベルの分子結合を独自に組み立て直して炭を金に変換する錬金術を立証させたり、数学の時間に懲りもせず吉崎が世界七大難問を全てぶつけてきてそれの全てに回答したり、と本来であれば世界の常識が音を立てて崩れ落ちそうな出来事があったんだが、あまりに非常識過ぎるので、却って発表できないものだから見なかったことにした。
 それはともかく、土曜日ということは例のアレだ。
 言わずと知れたSOS団町内不思議探索パトロールである。ハルヒたっての希望で、今週一週間ずっと部室にも来ていたものだから若葉さんも参加することになった。
 で、今回は俺が一番最後に到着したわけではなく、なぜかと言えば、集合場所に指定時間より一時間は早く着いたからである。さすがに、この時間に居たのは長門だけだった。今回は朝倉は来ない。どうでもいいことなのだが喜緑さんの買い物に付き合わされて、二つ駅向こうの町まで行っているそうだ。
 哀れ朝倉。骨は拾ってやった方がいいのかもしれん。
 まあそれはそれとして、
「……助かったぜ長門
「いい。それがわたしの役割。情報操作は得意」
 疲れ切った表情で嘆息しながら脱力感いっぱいに礼を言う俺に、淡々と答える長門
 なぜ、こんなことをしているかと言えば、俺が一時間は早く到着していたことに関連していて、実のところ今回、自転車で来ていない。
 何と言うか……
「ふうん。人が空を飛ぶのは常識じゃないんだ。長門さんや古泉くんのことがあったから大丈夫だと思ったんだけど」
 そりゃそうです。この世界では魔法が認識されていないんですから今後はやらないでください。
「分かったわ」
 という会話でお判りの通り、若葉さんが俺を空から連れてきたのである。
 とっても速かったぞ。なんたってここまでカップラーメンのできる時間すらかからなかった。
 万が一を考えて、有希は俺の胸ポケットにしまい、俺がそっと支えていたほどだ。胸に広がった有希のぬくもりがなかったら俺は恐怖で泣き喚いていたかもしれん。ヘタな直下型絶叫マシーンよりも怖かった。
 もちろん着地した瞬間、周囲は騒然としたぞ。
 だから、長門が情報操作して、その出来事をなかったことにしたんだ。俺が疲れたのも仕方ないってもんだろ?
 以前、古泉が閉鎖空間に若葉さんを連れて行った(連れて行かされたとも言う)際、空を飛ぶことができたそうだから、記憶は戻らなかったんだが、『レビテーション』と『テレポテーション』は思い出したとのことである。もっともテレポテーションに関して言えば、転移座標、いわゆる目標物がないと使えないそうで、今回は『空を飛んできた』って訳だ。
 ちなみに使えたのは月曜日の話だったが、その時は無我夢中ってことで、そのため確実な魔法の組み立てに時間がかかり、完全に意識して使えるようになったのが昨日の夜だったらしく、今日、使ったってわけだ。
 もうやってほしくないがな。
 さて、今日は誰が一番遅かったかと言えば、それはもちろん古泉一樹である。
 普段は俺が一番遅いから、ハルヒより先に来ていないと礼に失せるってことで早く来ていたのだろうけど、ハルヒ太鼓持ちである古泉がハルヒに奢らせるという、どう考えても不機嫌間違いなしの所業をできるわけもなく、結果、古泉が一番遅く到着するしかない。
 このあたりは、さすがはハルヒの集団ストーカー機関の面目躍如と言ったところか。ハルヒの行動を逐一観察しているだけはある。
 それはともかく、
「じゃ、今日の午前のチーム分けよ! 若葉ちゃんが居るから三人ずつ!」
 というハルヒのいつもの掛け声だ。引く順番は、朝比奈さん、古泉、俺、長門、若葉さん、ハルヒ
 ハルヒは自分が先に引くことはない。おそらくこれは団長としてのけじめなんだろう。若葉さんは初めてだから自分を除く一番最後にしたようだ。やり方と趣旨を教えるためだな。午後の順番はランダムになるさ。
 で、午前の部の組み合わせ。
 赤印 … 俺(&有希)、古泉、若葉さん。
 無印 … ハルヒ長門、朝比奈さん。
 古泉じゃなくて長門なら有希と心行くまで午前はランデブーできたんだがなぁ、と思いつつ、
「では行きましょう」
「あ、ああ……」
 どこか不機嫌な表情で「古泉くん! キョンが若葉ちゃんに変な真似しないように見張ってて!」と釘を差して肩をいからせながら長門と朝比奈さんを従えて駅の向こう側に消えていったハルヒの後姿を見送った後、古泉に促されて俺は歩き始めた。
 ところでハルヒ。若葉さんに変な真似をするかもしれないのは俺じゃなくて古泉だと思うんだが?
「マズイですね」
「あん?」
 誰と組んでもいつもの定番コースと化している気がしないでもない河原の並木道を散策しながら、不意に古泉がそう切り出してきた。
 ちなみに並びは若葉さんを間に挟み、俺が彼女の右、古泉は左だ。有希はもちろん、俺の右肩にいる。
「涼宮さんですよ。精神状態が日に日に不安定になっています。このままでは……」
「閉鎖空間、か?」
「そうです。月曜日に発生して以来、今日までは何ともなかったのですが、それもいつまでもつか……すでにいつ発生してもおかしくない状態にあります」
 古泉が俺を見ずに語っている姿を見るとどうやら事態は深刻なようだ。
 何でまた?
 なんて聞くほど、俺だってそこまで鈍くない。
「何でまた?」
 が、俺の心の声を再現してくれたのは、何も分かっていない若葉さんだった。
 実のところ、若葉さんは閉鎖空間の説明を古泉から受けている。以前、古泉に連れて行かせたし、古泉が機関に若葉さんを仮所属させているものだから、ある程度、言っておかなきゃならんのだろう。
 それにしてもこの御方も素でボケていらっしゃるのだろうか? 原因は明らかにあなたなのですが……
「彼女は記憶喪失の上に、あなたに異性としての興味がないから自覚していない」
 なるほどね。ところでお前は大丈夫だよな?
「彼女はわたしのことを知っているし、わたしは彼女があなたに興味がないことが分かっているから思うところはない。普段も同じ部屋で就寝を共にしているのはわたし。だから問題ない」
 ふぅ。正直言って、ある意味、ハルヒの機嫌よりも有希の機嫌の方が俺にとっては怖いからな。
 ちなみになぜ、俺が有希とこんな会話を交わせるかと言うと、古泉は若葉さんに熱心に話しているからだ。もしかしたら詳しく話すいい機会だと思ったのかもしれん。
 余計なことを言っていなければいいのだが。
「ま、大丈夫でしょ。いざとなれば、私が片付けるわよ。少なくともあの時の力は自分の意思で使えるようになったから」
「心強いお言葉、ありがとうございます」
 古泉の説明を聞き終えた若葉さんが得意満面、勝気な笑顔で宣言すれば、古泉は満足げな笑みを浮かべて首肯している。
「それにしても、ふーん。へー。なるほどねー」
 と俺に向ける若葉さんの視線はどこかほくそ笑んでいた。その目は明らかに「よっ、この色男」とからかっているようにしか見えない。
 古泉の奴、やっぱり余計なことを言ってやがったか。
「……古泉一樹を敵性と判定……当該情報連結の解除を申……」
 気持ちは解らんでもないがやめなさい。あんなんでも俺とお前の仲間だし、いずれ俺とお前のために奮闘してくれるであろう俺の親友です。
「む……」
 帰ったら目一杯甘えさせてやる。
「了解した。でも今はこれだけでも」
 と言って、有希が俺を無理矢理右に向かせて、当人は瞳を伏せ、少し開き気味に唇を突き出している。
 やれやれ、分かったよ。ったく。
 などと小さく呟く俺の行動は古泉からは川面に視線を移しているようにしか見えないことだろう。もっとも若葉さんには見えているから、さっきとは違うニヤニヤ視線を後頭部に感じているんだよな。


 さて、いつも通り午前中は成果もへったくれもなく、滞りなく終了したわけだが、もちろん昼食を挟んで午後からも探索は続く。
 今居る場所は、いつもの喫茶店ではなく、昼食はマクドナルドだ。もちろんここの奢りも古泉で、長門がいつもの倍は注文している。古泉だと遠慮をしないのか、それともあいつの財布の中身を知っているからか。どっちにしろ、俺より持っていることを確かだな。何か悔しいがまあいい。そもそも長門がお持ち帰りを含めて注文しているってことは理由は一つしかない。
 ちなみに午後の部は捜索範囲を広げるとかで三グループ分けと相成った。
 今回の引く順番は長門、若葉さん、古泉、朝比奈さん、俺、ハルヒで、組み合わせは俺(&有希)と長門ハルヒと朝比奈さん、古泉と若葉さんだ。
 随分と久しぶりに、
「マジ、デートじゃないのよ! 遊んでたら殺すわよ!」
 とハルヒに指を突き付けられたんだが、ひょっとしてあいつは俺と長門(正確には有希)の間に何かあるんじゃないかと漠然と気付き始めているのだろうか。
 なんて考えたんだが、俺は一つ、もっと重大な事項に気付かなかったらしい。だからハルヒは午後を三つに分けたそうなのだが、それは長門から教えられた。


涼宮ハルヒの力は彼女に影響を及ぼさない」

 長門が住む高級分譲マンション近くにある公園。そのベンチに座りながらバーガーを摘まみつつ、長門がそう切り出した。
 爆弾発言だ。
 ハルヒには世界を都合よく改変させる力があり、それを自覚はしていないのだが無自覚でも時折、発動させることがある。もちろん、俺たちはその力に抗うことはできないし、巻き込まれることも多々ある。
「……どういうことだ?」
「言葉どおりの意味。それは今回の二度の組み合わせで証明されている。涼宮ハルヒはあなたと彼女が一緒にならないよう無意識の情報操作を行っていた。しかし、彼女をその情報操作に組み込めなかった」
 なんだって?
「午前と午後のクジを引く順序には意味があった。午前は彼女を自分の前にすることにより、残りクジが何かを知ることができる。偶然一つずつ残っていたが、あなたの引いた爪楊枝は分かっていた。だから引かないよう情報操作したが彼女は涼宮ハルヒの意に従わなかった。よって午後は彼女を古泉一樹より先に引かせ、古泉一樹と一緒になるようにした」
 そうなのか、有希?
「『わたし』の見解は正しい。わたしも気付いていた。これが『わたし』とあなたの組み合わせにした理由。午前は古泉一樹が一緒にいたので言えなかった。もし、午後を涼宮ハルヒが三班に分けなければ、解散後、『わたし』のマンションで話すつもりだった」
「彼女は異世界有機生命体であるが故、涼宮ハルヒの影響下に無いと思われる。なぜなら涼宮ハルヒはこちらの世界の存在であり、影響力は存在している世界にのみ作用するから」
 なるほどな。で、それはどれだけの重要度なんだ?
「現時点では無視できるレベル、だと思う」
 推定な上に、現時点ってのはどういうことだ。
「彼女は記憶喪失状態にある。早期に回復すれば彼女は自身の世界へ帰還するが、時間がかかるようなら、その間、涼宮ハルヒの精神不安定状態は日増しに募っていく。そういう意味」
 つまり、若葉さんが俺の家に居候する限り、ハルヒは不機嫌になっていって閉鎖空間を頻発に発生させる、と。
「そう考えても不思議はない。頭では理解していても心で理解するのはまた別。それは、わたしにも言える。しかし、わたしは憂いがないことが解っている。それはわたしにのみあるもの。涼宮ハルヒには無いもの」
「そして、それだけではない」
 実は有希と長門が交互に喋っているんだが、口調は同じなんで逐一表現しなかったのは勘弁してくれ。
「この状況は高校一年時の五月と同じ。彼女が転校してきた際に涼宮ハルヒの精神状態は最高潮のプラスに転じたが、以後、徐々に真逆のマイナスに陥っている。あの時もSOS団を設立して全員を集めたときは最大限のプラス状態にあったが、幾日もしない内にマイナスに陥った。急転直下の精神状態は常時マイナス状態よりも状況は悪化していると言っていい」
 ということはまさか……
「そう。あの時の閉鎖空間が発生する恐れがある。これ以上、涼宮ハルヒの精神状態をマイナスで安定させるのは好ましくない」
 俺は背中に冷たい汗が流れたのを感じた。
 が、俺の恐怖の度合いはまだまだ、この時はそれほど大きなものではなかったのである。
 というか、それを知らされて初めて、この時の恐怖が大したものじゃない、と気付かされた。
 そして、有希も長門も古泉も完全にハルヒのことを見誤っていたんだ。
 もし、これがあの五月の時のSOS団であったならば、三人とも気付いていたかもしれない。
 しかし、年月は流れ、俺たちは互いに仲間意識を強く持ってしまっていたことが完全に災いしてしまった。
 どこかでハルヒを信じる心があったのだろう。
 だが、ハルヒも変わっていたから今日まで閉鎖空間が発生させなかったんだと思い知らされた。考えてみれば、あの日までのハルヒでさえ、古泉は閉鎖空間に出向いていた。ところが今回は月曜日の一件だけで以降、発生しなかっただけに勘違いしてしまったんだ。


 そう――事態はすでに最悪な状況に陥ってしまっていたのである――


 つつがなく探索パトロールは終了し、ハルヒが珍しく散々古泉をからかっているような、それでいて応援しているような声をかけていたんだが、その様子を見るとどうも、有希、長門、古泉の話が信じられない、と思ってしまったのは気のせいではないだろう。
 なんか随分とはじけるような笑顔を浮かべていたからな。
「若葉さん若葉さん」
「涼宮さんが期待しているようなことは、古泉くんと何もなかったわよ。ただ、あの人、随分とお喋り好きのようね。一緒にいる間中、延々とマシンガントークだったわ」
 そいつは凄いな。確かに解説好きだが午後の部は1時から4時だぞ。3時間も喋り続けたってか?
「概ね、ね」
 どうりで、不思議探索をサボってしまった古泉の言い訳を聞いたハルヒが小悪魔笑いを浮かべているはずだ。
 とと、話したいことはこんなことじゃない。
「飛んで帰るのはやめましょう」
「えー、歩いて帰るの? 随分遠いわよ」
 仕方ないだろう。この世界で魔法は認識されていないんだから。
「ぶー」
 ううむ、この人は年上なんだが見た目が小さな中学生なんで、記憶喪失も相まって、どうも可愛いお子ちゃまが不貞腐れているようにしか見えん。
「ダメです。言うことを聞きなさい」
 という訳で俺の口調もどこか娘を諭す父親か、妹をたしなめる兄のようになってしまう。
「分かったわ。じゃ、帰りましょ」
 で、この辺りにこの人が年上だってことを感じるのだが、俺の不遜な言葉づかいを気にせず受け入れて、自分が居候の身だってことを理解しているのか、遠慮して笑顔で言ってくるのだ。
 可愛い。
 なんて考えてしまうのも無理はない。無理はないのだが心配はいらん。俺はこの人に異性としての興味はない。
 何故無いのかというと興味を持ってしまうと主に俺の右肩がどす黒いオーラを立ち昇らせて命が危険に晒されるからだ。
「じゃあハルヒ、みんな、また月曜日な」
「待ちなさいキョン!」
 んで努めて明るく声をかけて帰ろうとした俺を呼びとめるのはもちろんハルヒだ。
 で、何の用だ?
「今日は自転車で来てないんでしょ! あんたの家まで歩くには遠いでしょうが! 若葉ちゃんは古泉くんに送らせなさい! いいわね?」
 う、うわぁ。ハルヒが腕を組んで仁王立ちですかーそうですかー。これには逆らわん方がいいな。うん。
「そ、そうだな。若葉さん、古泉に送ってもらうといい。さっき歩くのも辛いようなこと言ってたしなっ!」
 俺は有希と二人っきりで歩いて帰ることになるわけだから、実のところそっちの方が嬉しかったりする。
 モチロン、ハルヒガコワイカラジャナイゾ?
「ん? そう? なんか断ると妙にキョンくんが不幸になりそうな気がするんで、じゃあ、お願いしようかな。でも、いいの古泉くん?」
「ええ、お任せください。タクシーを呼びますので」
 古泉がとっても嬉しそうな笑顔で頷いている。
 かくして、帰る家は一緒だというのに、手段が歩きと車という雲泥の差で俺と若葉さんは帰宅の途に就いた。もっとも、俺は有希と二人きりでのんびり帰れたから、とっても幸せだったことだけは記しておく。
 日曜日は、俺的には特別何もなく、ただただ有希とまったりしてたりイチャイチャしてたりして過ごしたのだが、若葉さんは夕方に古泉が呼びに来たんで、一度、出掛けて行った。
 閉鎖空間、か……
 なんて考えたんだけど、戻ってきた若葉さんに聞いてみれば、古泉がハルヒに若葉さんを夕食に誘うように強要していたらしく、それで出掛けたそうだ。
 ふむ。完璧にハルヒの奴、勘違いしてやがるな。
「違う。涼宮ハルヒの目的は彼女の意識を古泉一樹に向けさせ、あなたから遠ざけるようとしている」
 は? 何でだ?
「…………………………そんなあなただからだと思う」
 何かえらく馬鹿にされたような気がしたんだが? 見れば有希が力いっぱい呆れたため息を吐いている。
 随分と感情表現が豊かになったもんだと思うが、どうもそういう雰囲気ではなさそうだ。
涼宮ハルヒは危惧している。そしてそれは、もし、わたしが彼女を知らなければ抱く危惧と同じ」
 え?
「なぜならば――」
 次の句を聞いて俺は石化した。


「あなたの異性の好みは、強烈な年上趣味かつ妹趣向であると思われるから」


 完璧に固まっている俺に淡々と有希が説明しているのだが俺の頭に入っていたかどうかは別の話で、とりあえず言っていることは耳には入っていた。
 多少遠くに聞こえていた気もするが。
「あなたは実妹ならびに従弟妹に好かれ、あなた自身も面倒見がいい。不機嫌な表情を浮かべているが内心は好かれていることを喜んでいる。それがわたしには分かる。そして、SOS団であなたが真っ先に興味を示したのは朝比奈みくるであり、初めて恋心を抱いたのは従姉。それは年上趣味であることを意味していて、憧れの域を出ないものではあるが、憧れが愛情に変わる可能性は比較的高い。しかし選んだのは年下であるわたし」
 え、ええっと……有希さん有希さん……その評価はどうかと……
「よって年上でありながら、妹属性の外見を保持する彼女は、あなたの好みにどストライク。ゆえに涼宮ハルヒは恐れた」
 ちょっと待てえええ! なんじゃそりゃぁぁぁ!
 俺は心の底から絶叫したのである。幸い有希が咄嗟に遮音シールドを張ってくれたおかげで、室外に声が漏れることはなかったがな。
 でもね? 彼女にありもしない女性の好みを断言された俺の心の傷はどこにいくんだよ?!
「問題ない。わたしがいるから」
 傷付けたのはお前だ! だが癒してくれるのもまた有希なのであって、結局は有希のおかげでゆっくり眠ることが出来た。方法は想像にお任せする。