『SS』 月は確かにそこにある 22

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 いつも見る光景だ、ハルヒが騒ぎながら朝比奈さんを引き連れている。いつもと違うのは長門の歩く位置がハルヒ達に近い事。そして、
「どうですか、この世界での初めての不思議探索は?」 
 お前だってそうだろうが。それなのに輝かんばかりの笑顔を湛えた古泉一姫が俺の腕にしがみつかんばかりに近い事だ。いや、ポジションとしてはいつも通りなのかもしれないが、俺の意識の問題なのかもしれない。
 兎にも角にも、俺達は慣れ親しんだ喫茶店のいつものスペースでハルヒが楊枝を使ったくじを作るのを黙って見ているしかなかった。
 古泉が話したのは俺と古泉、長門が一緒の組になる事。それも出来れば午後の部で、というのも一日中同じ班分けは怪しまれる。それにどうせ長い話になれば解散後もスムーズに合流できる方がいい、午前中も長門とペアが理想だがそこまでは望まない方がいいだろう。まだ長門の警戒心が解けたとも思えないからな。
 若干の不安と焦りはあるものの、少なくとも午前中は普通でいるようにと心がけておくしかない。ハルヒの気まぐれさえなければ時間はどうとでも潰せるはずだった。
「…………で?」
 それはこっちのセリフだ。どうなってる? いや、どうしたいんだ、お前は? 仁王立ちしているハルヒを見て頭を抱えたくなる。まさかこいつと二人きりの班になるだなんて思いもしなかった、この可能性を回避するように長門に釘を刺し忘れたのは俺のミスだ。
「まあいつものメンバーよりも不思議が出てきそうな面構えしてるからいいわね。いい? その間抜け面に油断した連中を捕まえるんだからキリキリ歩きなさい!!」
 言いたい事を言ったとばかりに歩き出したハルヒを慌てて追う。考えてみればハルヒと二人で不思議探索など滅多にある話ではない、しかもこの世界のハルヒとなど初めてそのものだ。つまりはほとんど接点の無い二人なのであって、まさかと思うがハルヒが望んだからなのか? と疑いたくもなる。
 しかしハルヒは後ろを歩く俺へと振り返る事も無くまっしぐらに歩き続けている。おいおい、何処か目標でもあるのかよ。と言ってもこいつは聞く耳を持つはずがない。大人しくついていくだけなのだが違和感があるのはきっと俺の腕が両方とも圧力も感じず引っ張られてもいないからだろう。
 進む足取りは俺の知るハルヒなのに。俺の腕を掴もうとしないのは俺の知らないハルヒだ。言い知れようのない寂寥感がそこにはあった。
 それでもハルヒは足を止める事も無く、やがて景色は街中から郊外へと移って行った。流石にこれ以上歩けば待ち合わせ場所まで戻るのも時間がかかる。俺はハルヒに声をかけて止めようとしたのだが。
「ねえ、一姫さんとは上手くやってる?」
 足を止めたハルヒが唐突にそう言ったので俺も動きが止まった。その声にあまりにもハルヒらしくない色を見たからかもしれない。
「上手く、って何だよ? 見てのとおりだ、SOS団の団員として日々安寧に過ごしてるよ」
「そんなんじゃないわよ、分かって言ってんでしょ?」
 分かりたくはないが分かる、ハルヒが言いたいのはつまりはそういった類のことだ。ハルヒ自身が認めようとしなかった、精神病と言い切った類の。それなのに何故ハルヒは俺と古泉にそれを強要しようとしてるのか? 俺は言葉に詰まった。
「………あたしはね?」
 俺の無言を躊躇とでも捉えたのか、ハルヒは自分から言葉を続けた。
「恋愛なんて一時の感情、精神病のように一瞬の気の迷いだと思ってるわ。自分の事なのに自分でコントロールも出来ないなんて納得出来ないじゃない? それなのにみんなが一喜一憂してるのを馬鹿馬鹿しいとすら思ってる」
 そういうとハルヒは振り返る。いつか見た、ハルヒらしくない輝いていない瞳。
「でもね? あたしは人の恋路を邪魔したりするほど野暮じゃないわ。誰だって人を好きになったりすることは止められない、それは病気みたいなもんだからね。あたしだって自分が精神的に予防してるから病気に罹ってないんだって思ってる、あたしはあたしなんだから誰かの事でそんなに心を掻き乱されたくないから」
 だって最後は誰だって一人なんだから、そう言ったハルヒの脳裏に去来したものは何だったのだろうか。幼い頃、自分が小さな存在だと自覚させられた野球場? それとも返事が無かった校庭の落書き? いや、孤独を実感させられた中学時代だったのかもしれない。
 何時だってこいつは一人だった、一人で居る事を望んでいたわけではないのに。そうして自分を守る術として今のハルヒがあるのかもしれない、恋愛を精神病と呼んでしまうような。
「だから一姫さんがあんたを好きなんだって言うなら応援してあげる。一姫さんは綺麗だし頭もいいしお金持ちっぽいし、あんたなんかには不釣合いなくらいなんだけど罹ったものは仕方ないじゃない? 無理矢理にでも治そうとして治るもんじゃないってのはあたしでも分かってるつもりよ、だからせめて一姫さんが喜んでくれるようにしてあげるの」
 あまりにも素直な、ハルヒらしさを感じられない告白。何でそんなに古泉に肩入れをする? 自分が認めていないものを。確かにハルヒは団員を大事にするヤツだが、ここまで自分が譲歩するほどの事なのだろうか。
 そこに、ハルヒが、俺が見えない。そう思った瞬間、俺の口が開く。
「なあ、ハルヒ
「………なに?」
「それはお前の真意だと思っていいのか?」
「え?」
 俺は何を言おうとしてるんだ? だが何か言わなければならない、それだけは理解出来た。目の前の泣きそうな顔をしている女に文句の一つも言わない事にはこのやりきれない気分を拭えそうにないからだ。
「確かに古泉はいいヤツだ、容姿も中身も基準以上と言ってもいいのかもしれん」
 ただし胡散臭いがな。それも女になってからは様子が変わってきたが俺としては古泉は男であって女ではない。それにだ。
「だが、それを言うならお前だってそうだろ? 性格はどうしようもないがお前は誰が見ても容姿端麗であることは間違いない」
「は? え? なに、急に?!」
「失言だった、忘れろ。とにかく見た目や成績とやらで人は恋愛をしてるわけじゃないってことだ。それは理解しろ」
「う……」
 何も言い返さないところをみると多少は自覚があるのかもしれないが、もしそうなら相手は誰なのだろう。少しだけ引っかかりのようなものを感じたが今はそれを追及するわけにはいかない。
「俺だって別に木石じゃない、年相応なんて言うつもりはないが彼女の一人だって欲しいさ。ただそれを誰かにお膳立てされるなんて御免被りたいんだよ、俺にだって選ぶ権利も告白する勇気もあるんだからな」
 それを聞いたハルヒの口元が皮肉に歪む。こいつ、こんな顔も出来たのか。そう思ったほどハルヒらしさを感じさせない表情だった。まるで誰も信用していない、入学当時のようなハルヒ
「あんたが? そんな度胸があったらこんなことしてないじゃない。一姫さんが積極的だからいいけど、そうでもなければあんたなんか誰も見向きもしないわよ」
 カチンときた。その誰も相手にしない俺をこんな事に巻き込んだのは誰だ? 頼んでもいないのに俺を引っ張り込んだのは。そしてそれを誰よりも楽しそうに笑ってみていたのはどこのどいつだって言うんだよ。
 古泉一姫? 断じて否だ。長門有希朝比奈みくるも同様だ、結果として彼女達も巻き込まれただけに過ぎない。
 こいつだ。全ての元凶は。
 涼宮ハルヒが居るからこそ俺はここにいる。それこそが疑いようの無い真実、俺が望んだ世界だ。そして長門や朝比奈さん、古泉もそこには必要であるが古泉は女である必要は無い。あいつはニヤケ面して回りくどく俺達を煙に巻きながらハルヒを楽しませて俺を疲れさせるくらいでちょうどいいんだ。だからこそハルヒ
「お前はそれでいいのか?」
「えっ?」
「古泉の意思を優先するのは分かった。俺の事を余計なお世話だが気にかけるのもいい。だけどお前はそれでいいのか、ハルヒ。お前自身の、ハルヒの意思はそこに存在するのかよ?」
 そうだ、違和感の正体はこれだ。確かに涼宮ハルヒは方法はどうであれ他者を気遣う事の出来る女だ、それも自分が集めた自慢の団員の為ならば一肌も二肌も脱ぐだろう。
 しかしそれはあくまで己の信念に基づいた故の行動であり、結果として混乱が増加することはあれど一気に押し通して貫くのが涼宮ハルヒのはずなんだ。決して意にそぐわない事を押し殺してまで行うようなヤツではない、そんなのはハルヒじゃない。
 お前は自分の心に素直なままで相手を思いやればいい、そんな涼宮ハルヒだからこそ俺達は信じているのだから。決してセカイは歪まないと。馬鹿げた終末など迎えることはないんだってコトを。
「俺は俺の意思で、自分の言葉でいつかそれを伝えたいと思う。そうしなければいけないってことくらいは俺だって分かる。だから今の状態を肯定することは出来ん、たとえ理想的でも俺が俺じゃないからな。だからハルヒ、お前はお前の言葉で、お前の意思で話してくれないか? お前自身が本当はどう思っているのかってコトを」
 話しながら俺も俺の意思というものを掴みきれてはいないのだ。何故ハルヒにこんな事を言っているのか、そして正しい選択とは何なのかを。
 だがあの時も。灰色の空間にハルヒと二人きりだった時、ハルヒが北校に居ない世界もあった。その全てから俺は自らの選択で今の世界を選んだのだ。
 それは何でだ? それぞれの世界から俺が戻る意思を決めた時、様々な顔の中から俺が求めたのは誰だったんだ? 答えはすぐそばにある、分かりかけているが目を逸らそうとしているモノの正体。俺はそいつを伝えなければならないんだ、元の世界で元のあいつに。いつか、その時は必ずくるのだから。絶対に元の世界に戻らなければならない、俺にはやらなきゃならない事が多すぎるくらいにあるのだからな。
 そして俺の言葉を聞いたハルヒは俯いてしまった。俺のセリフにショックを受けたからではない、自分の心理に戸惑ってるんだ。長い付き合いだ、言われなくても分かってくる。古泉からハルヒの心理学者の座も奪えるかもしれないが、生憎とあいつの出番まで取る気はないんでね。一々理解しなくていい、ハルヒは自分の言葉で話せる奴なんだ。今も小さくだけれど、言葉を選ぼうとしてるけれど、俺に話そうとしてくれているじゃないか。
「あ、あたしは…………」
 ハルヒらしくない消え入りそうな声はポケットの中の携帯の着信音にかき消された。まるで救いを求めるように慌てて携帯を取り出すハルヒ。俺も自分の携帯を見て失敗を悟った。単純な話だ、タイムオーバーだったんだ。
「うん、分かってるわよ。ちょっと気合を入れて遠出しちゃったからね、すぐ戻るわ」
 電話の相手は誰だ? 長門じゃないだろうから朝比奈さんか古泉か。どちらにしろ最悪のタイミングだ、ハルヒは先程までの出来事が無かったかのように電話の向こうとやり取りしている。
「いいわよ、あたし達が奢りで。遠慮しなくていいからね、それじゃ」
 電話を終えたハルヒの顔はもういつもの涼宮ハルヒだった。話の続きを出来そうもない、時間もそれを許してくれないのだろう。見誤った、俺は忸怩たる思いに駆られる。
「いくわよ、一姫さん達はもうとっくに待ってるわ」
 おい、お前はそれでいいのか? あの時何を言おうとしたんだよ、俺はまだ納得していない。お前の言葉が、この世界から抜け出すためのキーワードなのかもしれないのに。
 先を歩こうとするハルヒを呼び止めようとすると、
「早く! いくわよ、バカキョン!」
「うわっ?!」
 グイッと力強く引かれる腕。強引なまでに引っ張られ、バランスを崩しながら前のめりに歩きだすしかない。
 あのなあ、と抗議の声を上げたかったのだが黙ってしまった。当たり前の、いや、当たり前になってしまっていたはずの俺の腕にあるハルヒの手の温もりに感慨深さなど感じたせいもあるだろう。
 そしていつもどおりこっちを見もしないハルヒの、いつもと違う赤くなった耳たぶにこっちが赤い顔になりそうだったからかもしれない。
 必ず帰るぞ、ハルヒ
 俺は改めて誓う、今の世界から俺の居るべきところへと帰るんだ。その為には午後の組み合わせこそが肝要なんだ。
 ハルヒに腕を引かれる事がここまで落ち着くものかと自分でも呆れた笑いを浮かべながら俺は頭を切り替えようと少しだけ歩調を速め、ハルヒの隣を歩くようにする。
 顔を見られまいとしているハルヒを不覚にも可愛いんじゃないかなんて思ってしまったらいつの間にか待ち合わせ場所にも着いてしまってたしな。
 ここからだ、俺の腕を離して朝比奈さんに駆け寄るハルヒの背中を見ながら俺は気合を入れなおした。