『SS』 天の川オーバードライブ

 例年通り七月七日がやってくれば即ちその日は七夕である。そしてイベント事を外す事を良しとしない団長が率いる団体は統べからず参加を余儀なくされるのであった。つまりはSOS団の事である。
「さあ、ジャンジャン書きなさい! ただしルールは去年と一緒よ!」
 昨年と同様にどこからともなく巨大な笹を部室へと持ち込んだハルヒは得意満面で短冊をひらひらと動かしていた。それを古泉は愛想笑いで朝比奈さんは困った顔で長門は無表情で俺は仏頂面で聞いていたのもほぼ昨年同様なのである。ちなみに今年も笹のスポンサーであるところの鶴屋さんは参加しているのだがハルヒに負けず劣らず満面の笑顔であるのは言うまでも無い。
 大体年に一度しか会うことの出来ない連中に願いまで叶えさせるなんて重労働もいいところである。年末の赤服じいさんの存在すら早々に諦めた俺にとって、それ以上に眉唾なカップルに頼みごとなどあろうはずもない。にも関わらず願い事など考えねばならないなどとは精神的疲労と言うしかないだろう。俺は目の前の二枚の短冊を前に悩まざるを得ないわけである。
 おまけにこの願いが届くのは十年以上先などという不確定極まりない状態なのだ。赤服じいさんですら一日でどうにかするのに怠けているにも程がある。大体結婚したはいいものの、ベタベタしすぎて仕事を怠けたから引き離されるようなバカップルに何を望むというんだよ?
「いいから早く書きなさい! あとはあんただけなんだからねっ!」
 何? もう書いてるのかよ、と笹を見れば確かに短冊が既にぶら下がっている。いつの間にというより赤服じいさんやバカップルに気を取られすぎたようだ。
 とはいえ何も書くことなどありはしない。正直明日や明後日、せめて大学合格など祈れるなら少しは身も入ろうかというものだが、そんなに先の事まで考えたくはない。
「でしたら昨年書けなかった事を書けばよろしいのではないですか?」
 必要以上に顔を近づけた古泉にそう言われたのだが何の事だ?
「ですから涼宮さんとですね?」
 却下だ。肩をすくめるニヤケ面から短冊を隠そうとしながら今だ決まらぬ願い事に何故ここまで頭を悩ませねばならないのかと腹が立つ。
 それに金が欲しい、一戸建てが欲しいという正直な願望があっさりと馬鹿にされて終わっている。十年後以降なら男は誰でも持っていて当然だと思うのだが団長さんには現実的過ぎたようだしな。
 という事で考えれば考えるほど忌々しくなってくるのだが。何であの馬鹿夫婦の為に俺がここまで頭を傷めねばならんのだ?
 ん? 夫婦か…………………そういえばと思いついた俺はとりあえず短冊にペンを走らせたのであった。


「まったく、散々待たせたんだからさぞや素晴らしい願いを書いたんでしょうね?!」
 などと言われても困る。所詮は俺は小市民の域から出るようなものではないし、その割には今回は大胆なものだと思いはするが。
「それじゃ吊るすわね!」
 と言いながら見る気満々のハルヒに短冊を奪われる。どうせ大した事は書いてはいないんだがな。
「ふっふーん、キョンのことだからどうせつまんない事しか書いてないんでしょうけど………………って!?」
 なんだ? 俺の短冊を持ったままハルヒがフリーズしてしまった。おかしな事など何も書いていないのに失礼な奴である。しょうがないのでハルヒから短冊を取り上げて勝手に吊るしておいた。
「一体何を書いたんですか?」
 古泉が興味深げに聞いてきたので勝手に読めとその場を離れる。すると長門と朝比奈さん、鶴屋さんまで俺の短冊を覗き込んできた。そういえば連中の短冊はまだ見ていないが一体何を書いたのだろうか? まあ去年と大差はないだろう、朝比奈さんの可愛い願いだけは叶えられてほしいものだ。
 などと思いながら余分な頭脳労働に必要以上の疲労を感じてあげくにこの後の笹の処理を考えると肉体的にも疲労しなければならないのかと閉口しているのだが、そんな俺をよそに短冊だけは大人気のようだった。
「おやおや、これはこれは………」
「あっはっは、キョンくんも大胆なもんだねえ」
「え、え〜と、どうしよう……………」
「…………………」
 そんなに面白いのかね、ギャグを書いたつもりはないんだが。相変わらずハルヒはその場に固まったままだし。
 ああ、俺が書いた願いなのだが、本当に面白くないもんだ。『結婚していてくれ』・『子供は三人くらいはいろ』それだけだ。十年以上経っているんだからせめて結婚はしていたいだろ? それに一戸建ても家族がいればこその願いなんだから順番的にはこっちの方が先に叶えられてないとおかしな事になる。
 何よりも夫婦相手に願うならこういうのでいいんじゃないのか? それとも自分たちが年に一回しか会えないからって叶えないのだとしたら随分と了見の狭い奴らなのだが。とにかく七夕にふさわしい願いだとは思う、それでハルヒのあの反応は正直いってガッカリなのだ。古泉が何故あの願いを? などと訊いてくるものだから俺はそう答えた。
「その割にはお子さんの人数などは随分と具体的ですね」
「うちは妹もいるからな。やはり兄弟はいた方がいいだろうと思っただけだ、俺自身も家庭はにぎやかな方がいい」
 将来の家庭像なんていうのはそんなものでいいだろう。子供が多いと生活費が大変だなんて短冊に書くわけにもいかないからな。
「うんうん、キョンくんなら今すぐにでもいいお父さんになれそうだねっ! 何だったらあたしと今すぐ作るかい?」
 いえいえ、高校生でパパは勘弁です。大変魅力的な提案なので製作過程だけはご一緒したいのですが。と言おうとしたら視線で刺し殺されそうになったので自重する。
「……………………」
 どうした長門? いきなり笹に向かって背伸びした長門が自分の短冊を取り外した。
「訂正する」
 それだけ言うと長門は再び短冊になにやら書き始めた。どうしたのだろうか、もしやまた謎の模様などが描き足されてしまうのかと戦々恐々となってくる。
「あっ! あたしも!」
 おまけに今まで固まったままだったハルヒまでもが長門を見たかと思うとジャンプ一番、笹の一番上に吊るしていた自分の短冊を引きちぎるような勢いで外してしまい、新しい短冊に何か書き出したのだった。
 まさかとは思うがこいつまで謎のサインなど書きだしたらどうなる? 思わず古泉と朝比奈さんをみたのだが二人とも苦笑するだけだ。どうやら未来的にもハルヒの精神的にも怪しいところはないのだろうか。
「みくるはどうするんだい?」
「あ、あたしは………………遠慮しておきます、あの二人に悪いですから。鶴屋さんは?」
「あたしもやめとくよ。だって可愛いもんね、二人とも」
 鶴屋さんと朝比奈さんの会話の内容はよく分からないが二人とも見守るような暖かい目でハルヒ長門を見ているところから察するに先輩方は二人が書く短冊の内容を分かっているようだな。
「僕も何となくですがお二人が書く中身は分かる気がしますね」
 何でお前に分かるんだよ、しかも顔が近い。それじゃまるで俺だけが分かっていないみたいじゃねえか。
「正にそのとおりなのですが。まああなたが珍しく積極的なアプローチをかけてきたのでそれに応えようとしているのですよ」
 はあ? さっぱり分からん。俺が書いた短冊に何かダイイングメッセージでも発見したのか、あいつら? すると古泉は苦笑しながら、
「確かにメッセージとして受け取れなくはないでしょうね、少なくとも女性陣はそう思ったようですし」
 などとこれまたさっぱり分からないことを言い出したので、もう無視することにした。古泉は肩をすくめたのだが、それは俺がやりたいくらいだ。どうも蚊帳の外に置かれたようでイライラしてくる。
 腹立つ気持ちを朝比奈さんの淹れてくれたお茶でどうにか紛らわせ、俺以上に時間をかけて書いたハルヒ長門の短冊は無事に吊るされた。
「……………叶うと、いいわね」
 どうした? いつもなら自信満々に叶えるって言い切るじゃねえか。
「だって有希も…………それにあんたが誰を選ぶかなんて分かんないし…………」
 何だって?
「なんでもないっ! そうよ、叶うわ! 叶えてみせるわよっ!」
 とまあ胸を張って高らかに宣言したハルヒなのだが、やはりこの方がハルヒらしくていいんだろうな。
「わたしも叶うことを願う」
 お? 珍しいな、長門がそんなこと言うなんて。少しは人間的楽しみっていうものが分かってきたのかもしれないな。と、なんで驚くんだハルヒ
「…………負けないから!」
「…………わたしも」
 あー、なんで長門ハルヒがにらみ合ってるのか誰か説明してくれないか? 古泉と朝比奈さんは苦笑したままだし鶴屋さんだけは爆笑なのだが、どちらにしても答えてはくれそうにないのだ。
 やれやれ、どうやら本当に蚊帳の外だな。三人の暖かい目で見守られながらにらみ合いを続けるハルヒ長門を見て、俺は大きくため息をついたのであった。



 その後、結局笹の処分を任されてしまった俺は古泉と共に悪戦苦闘したのであるが、その際にたまたま見てしまった長門の短冊には印刷したような綺麗な明朝体で『安産』・『子孫繁栄』と書かれていた。まるで御守のようだな、というと古泉が可哀想な子を見るような目をしたのでとりあえず笹で殴っておいた。
 ハルヒの短冊か? 笹の天辺に吊るしているからわざわざ見るのも面倒だし、何より絶対に見るなとの厳命を受けたのでな。まあハルヒがとんでもない事を書いたり、未来が変わりそうな事を書いていない限りは安心ということなのだろう。
「さて、それはどうでしょうね? その内容が叶うか叶わないかはあなた次第のような気もするのですが」
 とりあえず笹から手を離し古泉に全部押し付けた。勝手に肩をすくめているが知ったことか。
 まったく、早くて十六年後か? その時にはせめて俺の願いくらいは叶っている事を祈るとするよ。
「まあそこについては心配は無用だと思いますけどね」
 とりあえず今度は殴っておいた。ぐーで。