『SS』 ちいさながと そのに 17

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 マンションまで一気に自転車を走らせた俺は休む間も無く駐輪場からエントランスまで走った。流石に息を整えながらインターフォンを押す。
『……………』
 沈黙でしか答えが無いことはもう承知済みなので、
長門、俺だ」
 余分なことは言わなくていいだろう、それにまだ息が上がってるんだ。すると、返答が無いままで自動ドアが開いた。どことなく長門も焦っていると感じるのは尚早なのかもしれないが、
「……………早く」
 もう一人の長門有希にも急かされているのでエレベーターまでの短い間すらダッシュすることになる。いい加減足も限界なはずなのだが、夢中になるっていうのはそれすらも超えるものらしい。
「………………………ふう、流石にちょっとな…」
 とはいえマンションの住人や肩の上の恋人と違って一般人の体力しかない俺はエレベーター内で座り込みそうになるのをかろうじて壁にもたれて回避することしか出来なかったのだが。
「大丈夫?」
 ああ、何とかな。それよりもこれだけ激しく動いても落ちる様子のない有希のバランスこそ凄いと思うのだが。
「…………待ってて」
 と言われるよりも早く有希が俺の顔を覗き込むように抱えると、そのままキスされた。な、何だ、いきなり?!
「血中の酸素濃度を上げて疲労回復を促進した。これで大丈夫」
 確かに呼吸は楽になったが心拍数は上がったと思うぞ? いや、そんなことよりも有希にキスされた時点で完全復活に近いがな。
「そう?」
 ああ、これに勝る特効薬はないね。などと照れもせずに言えるくらいは楽になった。気分的にもこの後の展開を思えば落ち込みかけるところだったが、それも吹っ飛んだしな。
 そう言うと有希も小さく微笑んだようだった。もしかしたら有希も不安だったのかもしれない、少しはまぎらわせられただろうか? そんな事を思っていたらエレベーターは目的の階に止まっていたのであった。
 廊下を歩き、長門の部屋の前へ。
「鍵はかかっていない」
 どうやら迎えに来るということは無さそうなので勝手にドアを開ける。中に入っても出迎えは無い、まるで無人のようだ。とはいえ勝手知ったる長門の家なのでリビングまで行くと、
「……………待っていた」
 と部屋の主の無表情な歓迎を受けるのであった。俺達を出迎える事も無くリビングに正座していた長門は静かに立ち上がった。
「座って」
 長門に促されるままにいつものコタツ机の前に座る。有希も肩から降りて机の上に座っていた。
「待ってて」
 長門がリビングから台所へ移動してしばし。お盆に急須と湯飲みを乗せて持ってくる。
「飲んで」
 香り立つほうじ茶が湯飲みに注がれて俺はそれを飲み干した。うむ、デジャブしか感じない。と言う事で、
「おかわりはいいぞ」
 と言わないと何杯でも飲まされる事になるのだ。
「そう」
 長門の手が急須から離れたところで俺は話を切り出した。
「メッセージは読んだ。今晩俺達を呼び出したってことは何か進展があると思っていいのか?」
 もしかしたら長門なりに何か方法を見出したのかもしれない、俺は淡い期待を込めていたはずだ。しかし長門は抑揚の無い声で、
「わたしの処分を申請した。これ以上選択の時間は無い、朝倉涼子涼宮ハルヒにとって必要な存在としての自我を確立しつつある」
 自らの命を絶つ選択をしたと、長門有希はそう言ったんだ。朝倉涼子を生かすために自分が死ぬ事を選ぶ。長門の人間らしさという自我は自己犠牲という形でしか表現出来なかった、そういうことになってしまうのだろう。
 まったくもって分かっちゃいない、それは誰も望んでなんかいないってことを。だが長門は頑固なんだ、自分で決めた事をまっすぐにやっちまうヤツなんだよ。
「それは推奨出来ない、わたしはあなたという存在を消失する事を望んではいない」
 それはもう一人の長門有希だって同様だ、だからこそ長門の、あえて暴走と言おう、暴走は止めなくてはならない。
「だが朝倉涼子の存在は最早軽視出来ないレベルへと達した。わたしは長門有希、及び朝倉涼子の現状維持を最優先する。故にわたしは問題は早急に解決するべきだと判断した」
 長門の気持ちは痛いほど分かる。だが手段が良くないって言ってるんだ、そんなに一途に自分が居なくなる事を考えるんじゃねえよ!
 沈黙が落ち、どういう方法を使うのかは分からないが、長門の本気は伝わってくる。じりじりと背中を焼かれるような焦燥感に俺が耐えられなくなって長門に何か言いそうになった時だった。
「やっぱりね、長門さんも今日中に決着をつけたかったか……………」
 突然現れた声に俺と有希が入り口を振り返った。
「意思の疎通はしてなかったけど考える事は同じだったって事ね。まあ私も時間は無いと思ってたし」
 長門だけは全てを承知していたかのごとくそちらの方を見ようともしない。侵入者はゆっくりと見向きもしない長門に近寄っていき、
「後はどっちが早いかってとこだけだったのね? まああなたならこうすると思ってたけど」
 そのまま長門の隣に座った。その表情は優しげに微笑んでいる、お前はこういう時でも笑っていられるのかよ…………
「うん、だって私にはこの顔しかないもの。あなたたちを助けられるならいくらでも笑ってあげられるわ」
 長門が初めてその顔を凝視する。その瞳には確かな驚きの色があった。有希も同様だろうけれども、どこかこうする予感もあったのかもしれない。
「さあ、長門さんを助けないとね、長門さんのためにも」
 朝倉涼子はそう言って有希を見つめたのであった………………