『SS』 ちいさながと そのに 14

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「悪いけどここでいいかな?」
 ベンチに座る朝倉に促され、とりあえずは隣に腰掛ける。ベンチの端と端だが声は聞こえるからいいだろう。
「警戒されちゃってるわね」
「当たり前だ、まだ俺はお前を信用してる訳じゃない」
「今は何もしないし、出来ないわよ。あの時と状況が違いすぎるわ、って言っても信じてもらえないか」
 苦笑する朝倉は消滅前と変わったようには見えない。第一こいつが俺を殺そうとした、いや、あのハルヒの居ない世界では実際に俺を刺したなんて思えるはずもない。
「それよりも話って何だ?」
長門さん、ああダミーだっけ? そっちの長門さんから話は聞いてるわよね?」
 それだけで俺が受けた衝撃を分かってもらえるか? あの部室は情報統合思念体でもスキャン出来ないから、長門はあそこで俺達と話したはずだ。それなのに何故朝倉が?
長門さんが何を言ったかくらいは分かるわよ、だって私も同じ様に情報は受けていたもの」
 余程不審そうな顔をしていたらしいな、俺を見た朝倉が苦笑しながら答えを教えてくれた。なるほど、自分が消えるかもしれないって事も分かってるって事か。
 その割には朝倉が落ち着いているのが気にかかる。確かに前回長門に敗れて消えていったときも笑ってはいたが、自分の事に無頓着すぎるってことなのか? それともまだ有機生命体の死の概念とやらが分からないってやつか? だが朝倉からは何も悲壮感などは感じられなかった。
 俺の横で座る朝倉は教室で話している時と同じ様な微笑みを湛えているせいか、逆に違和感しか感じない。こいつは自分が消えるって事に何も感じないのか?
「なあ、朝倉………」
 それを訊こうとした時だった。
長門さんも私も、長門さんの為にいるの」
 唐突に朝倉が呟いた。長門と? それはあの長門の方か、そして長門の為というのは有希の事だろう。朝倉は遠くを見つめながら、
長門さん、えーと、有希って呼んだ方がいいかな? あの子はほら、話すのは苦手じゃない? だから思った事が伝えきれてなかったと思うの。でもいつもみんなの事を考えるような子だったわ、それは前から変わらない」
 自分の事よりも自慢げに朝倉は有希の事を語る。その表情は今まで見たどんな時よりも柔らかい、と思った。
「初めて私たちがこの世界に創造されたとき、何もかもが知識としてしか認識出来なかったわ。それを少しづつ経験として蓄積していったの、生活をするって事でね。その時はあの子はほとんど動く事はなかったのね、いつも本を読んでて身の回りのことは私にまかせっきりだったのよ」
 今だったら長門が動かなかった理由は分かる。その時長門の部屋には俺と朝比奈さんがいたのだからな。それを朝倉は知っていたのか?
「時間を凍結してたのは知ってた。理由は教えてくれなかったけどね、だから有希は動けなかったの。私はそんな彼女にずっと付いてたってワケ」
 嬉しそうに両手を胸の前で組んだ朝倉は、本当に思い出というものを持っているのかもしれない。
「表情は今ほど変わらなかったけどね、今の有希は本当に表情豊かになってるもの」
 多分俺とお前とせいぜい喜緑さんぐらいしか分からない違いだとは思うぞ。それでも朝倉から見れば大きな変化だった、それは俺から見ても分かる。有希は感情豊かになった。いや、その胸の中にあった想いを素直に表せるようになってきたってところなのか。
「ずっと一緒だった。私はそれを当然だと思ってたし、それが嬉しかった。でもその事に気付いたのは私自身がこの世界から消えてしまった後だった。しかもそれは有希自身が得た経験を私が再構成した際に得た知識、いいえ、感情というものから覚えたものなの」
 その笑顔は何よりも誇らしげだった。確かに違う、これは俺を殺そうとした殺人鬼ではない。朝倉涼子は正しく感情というものを理解している一人の人格としてそこに存在しているのであった。いや、俺なんかが偉そうに言える立場なんかじゃないが、それは有希が朝倉にもたらしたものであり、即ち俺と共に過ごした日々が無駄ではなかった証拠のように思ったんだ。
 そして、俺は朝倉を恨むことをやめることにした。本能的な恐怖心をぬぐえるとまではいかないだろうが、今の朝倉を信用してやる事くらいは出来そうな気がしたからだ。
「そうか。今のお前ならまあ信じてもよさそうだ」
「あなたのおかげね、ってとこがちょっと癪に障るけどね」
 余計なお世話だ。だが、これで朝倉に対するわだかまりが少し解消できたのは大きい。朝倉もそれを見越しての話だったとみえ、
「だから私はバックアップとしてだけじゃなくて、有希を救いたいと思ってるわ。それは長門さんもそう思ってる」
 長門? そうだ、
長門は、あの長門は何であそこまで冷静なんだ? 少なくとも有希と同期か、しているはずだから自分が消えたりすることに抵抗したっていいんじゃないのか?!」
 矛盾するようだが朝倉ですらここまで感情を表にしているんだ、長門はそれに一度世界そのものを変えたことすらある。ダミーとはいえ能力は長門有希なのだから何も抵抗すらせずに唯々諾々と上に従うなんてありえない。
 それに対する朝倉の答えは俺を驚愕させ、納得させるものだった。
「簡単よ、長門さんが抵抗すれば私が消えるから。彼女は長門さんですもの、何よりも自分の事を後回しにするに決まってるわ。それに、あの長門さんは自分がいることで有希が苦しむ姿を見たいだなんて思ってない、それは私も同様ね」
 やはり長門長門だった。あいつは何も自分の事は言わずに周りの人たちを助けようとしてしまうのだ。しかしそれが有希を悲しませるということに何故気付かないのだろうか? 
「それでも俺達はお前ら二人を助けたいと思っている。何か手はあるはずなんだ、今までだってそうだった!」
 それを聞いた朝倉はやはり笑顔で、
「やっぱりキョンくんは優しいね、それは長門さんがああなるのも分かる気がするな。でも、それは無理な話なの」
 あっさりと俺の話を断ち切った。何故だ、と問い詰める俺に、
「そうだから、としか言い様がないかな。情報統合思念体の意思はあくまで長門有希の存在を最優先しているだけ。私達はあくまでバックアップに過ぎないもの」
 そう言った朝倉の顔から笑みが消えた。
「だからこそ私は有希が悩む今の状況を是だとは思ってないわ、長門さんもそう思うからこそ自分が消える選択肢を選んだのよ」
 それは何となくだが分かる。だがそれが最善だなんて思えないだけだ。
「私もそうよ。だからキョンくんにお願いがあるの」
 いつの間にか、朝倉は俺のすぐ真横にまで来ていた。顔が近い、まるで襲われてるみたいだ。
「な、なんだ?」
「もしも有希がどちらも選ぶ事が出来ず、最悪の事態になりそうだったら、」
 朝倉が俺の手を取り、自らの手を重ねた。途端に手の上にずしりとした感触が。なんだ、と思うまでも無く俺の手の上には一本のナイフが置かれていた。
「な、何するんだ、朝倉!?」
 慌ててナイフを捨てようとすると、まるで手の中に吸い込まれるようにナイフが消えてしまった。何だったんだ、一体?! それに朝倉は何だってこんな事を?
「そのナイフは私の意志によってキョンくんの手の中に出現するわ。最悪の事態になったら、それで私を刺して欲しいの。そうすれば私が情報解除されるようになってるわ、それが出来るのはキョンくんしかいないからね」
 何だと?! いきなり何を言い出したんだ、こいつは! 
「おい! どういう事だ、何でナイフなんかいるのかも分からんし、それでお前を刺せだと?! 出来る訳ないだろうが!」
「出来ない、じゃないの。やらなきゃいけないだけ」
 その言葉からは嘘は感じられない。混乱したままの俺を置いてゆくように、
「そうしないと最悪あなたは二人の長門有希を同時に失う事になるわ。私にはそれが分かる、だからこそあなたに最後の手段を預けておくの。喜緑さんにばれないようにするには、これしか方法がないからね」
 それだけ言うと朝倉は笑顔を取り戻した。
「大丈夫、あくまで最悪の場合にしか使わないから。私だって何回も消えたいなんて思わないからね」
 まだ事態を飲み込めずに呆然としている俺を置いて、朝倉は立ち上がっていた。
「これ以上は喜緑さんや長門さんに怪しまれるわ。私が伝えたかったのはこれだけ、それじゃまた明日学校でね」
 おい、まだ俺は承知した訳じゃないぞ! 呼び止めようとした俺に朝倉は、
キョンくんだけに責任を負わせるつもりはないけど、有希の決める判断の背中を押してあげて。そうじゃないとあの子は全てを抱え込んでしまうから」
 その瞳に宿った光の強さに俺は何も言えなかった。
「今度こそ私は長門さんを、有希を守るわ、それが今の私に出来る全てだから」
 そう言い残し、朝倉はベンチから離れて自分のマンションへと戻っていった。取り残された俺は消えてしまったナイフを探すように手のひらを見つめてみたが何も残ってなどいなかった。
「……………チッ」
 思わず舌打ちをして立ち上がる。これ以上はここにいても無駄なのだけはよく分かった。俺は足取りも重く家路を急ぐ。有希は何も気付いていないだろうが、どうしても顔が見たいんだ。
 途中、電信柱に思い切り拳を打ち付けた。鈍い痛みが走るだけで、柱が揺れるわけでもない。
「チクショウ………………」
 分かってない、朝倉も長門も何も分かっちゃいないんだ。自分の身を犠牲にしても有希は何も喜んでくれないってのに。それなのに自分の身を省みないところだけはそっくりなんだ、その決意の固さに俺は何も言えなかった。それ以外に何も策が思い浮かばない自分の頭に嫌気が差すぜ。
 そのまま頭を柱にぶつけてみても、何もいい考えなど浮かんではこなかった。朝倉のナイフが消えた手のひらをもう一度見つめ、
「どうすりゃいいんだよ……………」
 情けなく呟くしかなかった。間違い無い、今度は最悪の事態だ。解決策が提示されているにも関わらず、実行する事を拒否しなけりゃならない。だが拒否した時点で最悪の結果が待っている。
 何も答えが出ないままに俺は家へと帰るしかなかったんだ。
 そして、俺がいない間も起きることのなかった有希の寝顔を見つめ、それでも自分なりの結論を出すことも出来ずに眠れない夜を過ごしたのであった……………