『SS』 ちいさながと そのに 9

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 午後の授業について特筆する事は無い。俺は既に覚悟を決めていたので朝倉の動向に一々気を使うことは無くなっていたし、ハルヒは教室に戻ってからもだんまりを決め込んでいる。有希は……………定位置の肩の上でハルヒを見ていた。それはいつもと同じはずなのだが、どこか上の空だったと思う。
 恐らく俺と有希は同じ事を考えていたに違いない。長門だ。もう一人の長門有希は朝倉が帰ってくることも、喜緑さんがそれを望んだ事も知っていた。いや、もう一人の有希である長門自身もどこかで朝倉に会いたいと思っていたのだろうか? 有希の思い出を共有するはずの長門が何故有希に何も話さなかったのか? 喜緑さんに止められた? それでも有希と長門の意識は同期出来るはずだ。
 分からない、あの長門が有希と俺に隠し事をするなどとは思えない。だが、長門は何も言ってくれなかった。
 俺以上にショックを受けているだろう有希は視線は机に伏せたハルヒに向いているものの、思考は別の方向に向いているのは分かった。
 そんな俺達を朝倉涼子が見ていたことには気付いていなかったのだ、そして朝倉は笑ってなどいなかったことも。それは朝倉本人から聞くまで俺は分からなかったんだ。何故ならばその時俺は放課後が来る事だけを望んでいたからだ。放課後になればSOS団がある、ハルヒが休まない限りはな。そしてそこには必ず長門がいるはずなのだ。
 他の連中の目はあるが、それでも有希と長門の会話には影響は無いはずだ。昨日の時点で話せなかったことも喜緑さんとの会話の後だ、今度は全て話してくれるだろう。それがどんな話であれ、俺と有希なら大丈夫だ。
 こうしてここだけは相変わらず内容がほとんど頭に残らないまま午後の授業が終わり、ついに放課後を告げるチャイムが鳴った時だった。今まで雌伏していた爆弾が爆発してしまったのだ、やはりこいつは黙ってなどいられなかった。すなわち、
「ねえ朝倉さん? 放課後はあたし達に付き合って欲しいんだけど」
 今まで関心を持っていなかったような涼宮ハルヒが、変わらず周囲を取り囲んでいた連中を押しのけて朝倉に話しかけたのを考え事に捕らわれていた俺は止める事が出来なかった。
「あ、涼宮さん。私もあなたと話したかったの。SOS団だっけ? 私が転校する前からやってたわよね、どういう事をしてるのか気になってたの」
 白々しくそう言う朝倉も大したもんだ。どこまで自分がいない間の情報を得ているのかは知らないが、少なくともSOS団に関心が無いはずはないだろう。そしてSOS団が気になるといわれて黙っていられる団長さんではない、むしろ今まで溜め込んでいたのが不思議というか、よく我慢していたものだ。ハルヒは轟然と胸を張ると、
「ええ、あんたがいない間にあたしのSOS団は拡大の一途を辿って、今や知らない人間は居ないほどになってるのよ!」
 どういう意味で知らない人間が居ないのかは考えたくは無いがな。だが確かに朝倉がいない間にSOS団もハルヒも俺達にも様々な変化があったことは間違いない。特に俺には、有希という彼女も出来たしな。それも朝倉から見ればどう見えるのだろうか、あいつは………………朝倉涼子は有希や喜緑さんのように思い出、というものを持っているのだろうか? 
「そうなの。それは素晴らしいわね、涼宮さんならきっと何をやっても大丈夫だとは思ってたけど」
 これはお世辞のつもりか? だがある意味ではハルヒの能力を理解しているが故の本当の評価かもしれない。もしくは嫌味なのかもしれんな、ハルヒのせいで長門と争った結果で一度は消滅したのだから。
「それであなたをSOS団に招待したいのよ、色々訊きたい事もあるからね」
 そうか、ハルヒが狙っていたのはこれか。結局クラスの連中から引き離して尋問をする気満々だったってとこか。あのハルヒがここまで大人しくしてたってだけでも成長したのかと思ったんだがな、ハルヒはむしろ効率よく朝倉を拉致する方向で作戦を練っていたようだ。朝倉の席にたむろしていた女生徒達もハルヒには逆らうとまずい事くらいは理解してしまってるし。
「いいの? それならお邪魔させてもらおうかな」
 それに朝倉が断わるはずもないしな。あっさりと立ち上がった朝倉はクラスメイトに微笑みで謝罪すると、
「楽しみだわ、SOS団って」
 などと言って逆にハルヒに不審そうに見られてしまっていた。というかだな? 積極的な朝倉に不審気な顔するくらいSOS団の活動が怪しいっていう自覚はあるのか、お前は。
「まあいいわ、後で吠え面かかせてあげるから! それじゃ行くわよ、キョン!」
 っと、こっちもか。いつものように手を引かれているはずなのだが朝倉の温かい視線が妙に引っかかる。それに、
「…………」
 最早隠す事も無く朝倉を見つめている有希も気にかかる。いつもなら多少不満気に手を引かれる俺を見ているのにな、それを寂しいと思ってしまうくらいはいいだろう。どうしても俺の調子は狂ってしまっているのだから。
 ハルヒに手を引かれながら、後をついてくる朝倉に気を取られてバランスも悪く部室へと向かう。有希は少々不安定でも落ちたりする事は無い、が、朝倉の方しか見ていないのはどうにかならないだろうか? しかも朝倉はまるで有希が見えていないかのように視線を交わしていないのだ。その全てが見えてしまっている俺は、潜在的な恐怖心と相まって居心地が悪い事この上ない。何度ハルヒの手を振りほどいて帰ろうかと思ったか、だがそんな事は当然出来るはずもなく部室へと着いてしまったのであった。
「みんな、いるー? 今日はゲストを連れて来たわよ、ゲスト!」
 呼んでもいないゲストを無理やり連れて来た団長はゲストを振り返ることも無く俺の手を引いてドアを蹴り開けた。というかいきなり開けるな、もしも朝比奈さんが着替えていたらどうするんだ? という心配は杞憂に終わる。部室には俺とハルヒ以外の団員は揃っていて、
「あ、涼宮さん、こんにち……………」
 朝比奈さんが挨拶をしようとして言葉を呑んだ。俺達の背後に立つ朝倉を確認できたからだ、朝倉はまだ部屋に入ってきてはいないが。
「さあ、入って! あんたには訊きたい事が多いんだから時間は無いのよ!」
 俺の手を離したハルヒは団長席でふんぞり返り、まるで尋問する刑事よろしく朝倉を呼び込んだ。
「こんにちは。キョンくん以外の人は、はじめましてでいいのかな?」
 そう言いながら部室へ入ってきた朝倉涼子を見たSOS団員の反応はこんなものだった。
「あ、あの、こ、こんにちは…………」
 朝比奈さんは多少戸惑いながらも挨拶を交わし、
「ようこそ、涼宮さんやキョンくんからお話は聞いておりました」
 白々しく笑顔で会釈する古泉が一瞬だけ笑みを消していたのは俺と有希しか見ていないだろう。恐らくタイミングを見て電話でもするつもりかもしれないな。そして、
「……………………」
 長門有希は本から視線を上げずに数ミリだけ首を動かして会釈を表したのであった。いつもの長門からしても少々礼儀がなっていないのだが、ハルヒ以下気にしてはいないようだ。
 ここにいるハルヒ以外の全員が実は互いの事を知っていて、しかもその関係はお世辞にも良好と言えるものではないなどとハルヒが知ってしまえばどう思うのだろうか。無論言える筈もないのだけれども、どこか緊張感が漂う雰囲気なのは間違いない。
「ほら、キョン! 早く朝倉に椅子を用意して! まったく気が利かないわねー。みくるちゃんもお茶用意してちょうだい!」
「は、はい! ただいま!」
 ハルヒの号令で朝比奈さんが弾かれたようにコンロに向かう。俺も渋々ながらもパイプ椅子を用意しようとしたのだが、その為には長門の近くに行く訳だ。
 チラッと長門を覗いてみても、あまりに反応が無い。むしろ意識的に無視しているようさえ見える長門に視線を合わせようとしたのだが、それも避けられているような気がした。何より長門に集中する余裕もない、肩の上の有希が長門に話しかけようとしているのを拒否しているかのようでもある。
 結局有希が長門の肩に飛び移る訳でもなく、俺が用意した椅子にごめんね、といって朝倉が座ったところで、
「さて、それじゃどうして転校したのか、何で帰ってきたのか洗いざらい吐いてもらうからね!」
 高らかにハルヒが宣言したのを朝倉が苦笑して見ていたのを、俺は複雑な思いで見ていたのであった。古泉も何か考えているようだし、朝比奈さんはどうすればいいのか分かっていないだろう。
 そして何も言わない、話も聞こうとしない長門は本から視線を上げようとしない。有希もどうすればいいのか分からないままに俺の肩の上で所在無げにしているのだが、上手く移動してくれればいいが。
 それもこいつ次第なのだろう、何かを企んでいるのが丸分かりなハルヒの笑顔を見て俺は大きくため息をついた。