『SS』 涼宮ハルヒの別離 7

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 黙って立ち上がったキョン
「行くぞ、ハルヒ
 今まであたしが引っ張っていったのに、今日はあいつに促されて立っている。いつもなら主導権を握られて悔しいんだけどな。
 ううん、分かってる。いつもあたしの傍にはキョンがいてくれた。だからあたしはいつも走っていられた。あいつを引っ張りながら、あいつに引かれて。
「…………うん」
 二人で廊下を歩く。走らないあたしに違和感がないのか、キョンもあたしに合わせてゆっくり歩く。最後の文芸部室までの道を。
 少しでも部室に着くのを遅くしたい。だってあそこには有希がいるはず。そして、あそこに行けば………………………終っちゃう、あたしとキョンとの繋がりが。もうキョンといられなくなっちゃう。
 でも止まる訳にもいかないの、あたしは覚悟をしていたはず。それに、みくるちゃんの思いを裏切る事になる。あたしは足を止めず、でも歩く速度だけは上がらないままで部室に向かった。途中、何も話さないキョンがすごく遠く見えたのは気のせいなんだと思いながら。



 部室に着き、キョンがドアをノックする。みくるちゃんはもう来てるのかな? 今は顔を見たら泣きそうなんだけど、それでも誰かにいて欲しい気もするの。古泉くんもいてくれたら。少なくともその間だけはSOS団の、いつものあたしでいられるから。
 でも、部屋の中からは返事はなかった。背筋が凍る。だって何も返事がなくても、あの子は、有希はいるかもしれないもの。あたしはまだ有希と向き合える自信なんかない、キョンと有希が一緒にいるところに自分がいるなんて。
 それなのに。キョンは分かっているかのようにドアを開けた。怖くて目をつぶる、そこに有希がいたら………………
「どうした、ハルヒ?」
 キョンが不思議そうに聞いてくる。だって…………………目を開けたあたしの前には無人の部屋だけがあった。誰も………………いないの?
 あたし達は部屋に入る。本当に誰もいなかったの、みくるちゃんも古泉くんも………………有希も。
 そしてあたしの席の机に一通の封筒。表には『涼宮さんへ』と可愛い字で書いてある。誰からかはすぐ分かる、みくるちゃんは先に来てたんだ。
 封筒から白く綺麗な便箋を取り出し読んでみる。

『涼宮さん、申し訳ありませんが今日の団活をお休みします。理由は言えませんが鶴屋さんと一緒ですから心配しないでください。
 
 きっと涼宮さんと笑顔で明日会えると思います。自分の気持ちを信じてください。
                                      朝比奈みくる

 みくるちゃん……………あたしの為なんだよね……………ごめんね、心配かけっぱなしで。
「朝比奈さんか? 何かあったのか?」
 黙って手紙を読んでいたあたしにキョンが声をかけてくる。そうね、いつもなら大騒ぎだもんね。
「みくるちゃん、鶴屋さんと用事があるんだって」
「……………そうか」
 おかしい、今日でみくるちゃんに会えるのは最後なのに。凄くキョンは落ち着いていた、まるで分かってたみたいに。
「古泉は?」
「………わかんない」
 その時、キョンの携帯が鳴った。どうやらメールみたいだ、キョンは黙ってそれを読み、
「…………古泉はバイトだ」
 それ以上何も言わずに携帯を閉じた。お節介野郎が、と呟いたように聞こえたけど。
 二人が来ないなんて思わなかった。それとも、あたしはそう願っていたのかもしれない。二人でいたかったから。でも、
「有希は?」
 聞きたくないけど、絶対に聞かなきゃいけない。あたしたちは二人でいることは出来ないんだから。
 そしてキョンは信じられない言葉を、小さく、重く呟いた。
「…………………長門は……………………今日は…………………多分、来ない………………」
 ……………嘘…………なんで………? だって有希は、
「聞いてくれ、ハルヒ
 部室の中に二人。キョンがあたしを見ている。今まで知らなかった顔をして、今まで聞いたことない声で。そんなキョンを前にしてるあたしはどんな顔をしてるんだろう? 何も言えなくて、ただキョンの次の言葉を待つしかない。
「こんなタイミングでしか言えないのは俺が情けないからだというのも充分分かってるんだが、それでも俺には言いたい事があってだな、というのも俺はその、なんだ、お前が、」
 さっきまでの真剣さはどこにいったんだろ、支離滅裂なことを突然言い出したキョンに、それでもあたしは何も言えなくて。
「あー!! 違う! 俺はこんな事言いたいんじゃねえ!」
 頭をかき回したキョンが、
ハルヒ!」
 急に真面目な顔して、あたしの肩に手を置いて。
「俺は、お前のことが、好きだ!」
 いきなり、そう、言われた。真っ赤な顔で、思い切り怒鳴られるように。勢いがついたのか、真っ赤なキョンが矢継ぎ早に言葉を繋ぐ。
「そりゃ最初はいきなり美人がいたってだけだったし、そこからのお前は何とも変な奴だった。だけど俺を引っ張ってSOS団を作ったり、不思議な事や楽しい事を探し続けるお前は、その、なんと言うか、輝いてた。いつからお前をそういう目で見てたのかは俺にも分からん、だがいつの間にか巻き込まれていたはずの俺は、自分でも驚くぐらい楽しかったんだ!」
 え? 楽しかった……の? いっつもあたしに不満そうな顔したり、逆らってばかりだったのに。
「そりゃ多少は俺だってきつい面はあったさ、でもお前が笑ってる姿が俺にとっては一番見たいものだったんだ。それに気がついたのはつい最近だったけどな。だからこそ、俺はちゃんとお前に伝えたかったんだ。俺がお前を好きだってことをな」
 一気に言い切ったキョンが大きく息を吸う。そのまま大きく深呼吸をして、
「俺の言いたかった大事な話は以上だ。すまん、言いたい放題だったな。返事は……………」
 言わせなかった。言わせるつもりなんかなかったの。だって、
キョン! キョン! あたし………あたしも!!」
 思い切りキョンの胸に飛び込んだ。驚いてたけど、それでもしっかりとあたしを受け止めてくれる人の胸に。
ハルヒ?」
 何も言えなかった。嬉しくて、そんなキョンが好きで、キョンに好きだって言ってもらえて。
「あたしも……………好き、キョンのことが好き………大好き!!」
 それなのに、
「やだ、やだ、やだ! なんで? なんで? なんで?!」
 あんたがいなくなっちゃうの?! 好きなのに、好きだって言ってもらえたのに!!
「………ハルヒ………」
「やだ………行っちゃやだ…………一緒にいたいのに…………」
 嬉しかったのに。悲しくて。こんなに好きなのに、傍にいられないなんて。
「行かないで………行かないでよ…………あたし………キョンがいなくなったら…………」
 分かってる、あたしは我がままを言ってる。キョンを困らせてる。でも我慢出来なかった、だってこんなに好きなのに!
 涙が止まらない。嬉しくて、悲しくて、寂しくて、困らせてるのが悪くて、でも嬉しくて。色んなものが混ざって、あたしの頬を流れていく。
「ねえ、どうにかならないの? あたし、キョンとずっと一緒にいたいよ……………」
 どうしようもないくらいの想いが溢れていく。我がままでもいい、どう思われてもキョンの傍にいたい。それだけしか考えられなくなってる。今のあたしは弱く、儚い。ただ好きな人の温もりだけが欲しかった。
「ねえ…………………」
 後は何も言えなかった。ひたすらにキョンにしがみついて涙を流すしかなかった……………



 目から溢れる寂しさの証は枯れ果てる事も無いままで。それでもあたしが壊れる事も無いのはあいつに抱きしめられてる温もりがあるから。それだけであたしはここにいられる。
 そして、その温もりはいつもあたしを落ちていきそうな暗い闇の底から救い出してくれるんだ。今も、そう、今のあたしにも。
「……………大丈夫だ。俺はお前といつも一緒さ」
 優しいけど、嘘。
「そんなことはないさ、今時はメールもあるし携帯でならいつでも話せる」
 そんなことじゃないのは分かってるくせに。
「週末なら何とかするぞ。向こうでは団活もないからな、バイトでもすりゃどうにかなる」
 それでもあんたはいないじゃない。今、あたしの前からいなくなっちゃうじゃない!
 違うんだって、あたしが言いたいのはそんなことじゃないんだって、言いたかった。だからキョンの胸から顔を上げた。
 

 そうしたら見てしまった。


 優しすぎるあいつの笑顔を。
 その頬に伝わる涙を。


「だから大丈夫だ、俺だってこう見えても真面目にお前に会いに帰るつもりだからな」
 ……………分かってなかったんだ、あたしはキョンがどんな気持ちで好きだって言ってくれたのか分かってなかったんだ。好きな人と離れる事がどれだけ辛いのか、あたしじゃなくてキョンだって同じなんだって事を。
 それなのに、笑ってくれてる。泣いてるけど笑顔であたしを見てくれてる。
 胸の中が暖かくなってく。あたしは誰よりもこの人が好きだ、その想いが体の中を熱となって駆け抜けていく。
キョン……………」
 胸を抱くように回していた腕を上げて、キョンの首の方へ。
「ごめんね…………」
 そのままキョンを胸に抱きしめた。身長差があるけど気にしない、あたしがそうしたかったから。
「ハル………ヒ…………?」
 分からないまま抱きしめられて、戸惑った声。だけどいいの、
「ごめん…………寂しいのは、あたしだけじゃなかったのに…………」
 胸の中で震える感触。分かってなかったのはあたしだった、好きな人の気持ちを考えてなかった。
「ごめんね、ごめんね…………キョン……………」
 震える肩。小さく聞こえる嗚咽。
「…………行きたくねえよ…………俺だって…………」
 こんなにも不安だったんだ、誰だってそうに決まってたんだ。そんなことにも気付けなかったんだ、あたしは。
「やっと…………やっと言えたんだぜ………それなのに………」
 そうだ、あたしもやっと言えた。それなのに。
 キョンが泣いている。あたしは抱えた頭を優しく撫でる、髪の感触が掌を伝わってくる。それが愛しくて、あたしは髪を撫でながら、
「大丈夫、大丈夫だよ、キョン………」
 何度も、何度も囁いた。自分にも言い聞かせるように。
「………………………絶対に帰ってきてね……」
 あたしのところへ。
「ああ、絶対に帰る。お前に会いに」
 分かってくれた、あたしの気持ちに。それが嬉しい。寂しさはあるけど押し潰されない、だって約束してくれたから。
「絶対なんだからね…………」
 そっと、手を離した。キョンの顔があたしよりも高くなって。
「ああ、絶対だ」
 高くなった顔が少しづつまた近づいてきて。あたしは黙って目を閉じた。
「ぜったい…………」
 夢じゃない、本当のキョンの唇は、ほんの少し甘くて。
 ほんの少しだけ涙の味がした。






 夕焼けが赤く部屋を染めて。
 あたしたちの影は一つに溶けていた……………