『SS』デートと指輪

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「遅いな…………」
俺は携帯の画面を見ながら呟いた。デジタル時計が示した数字は10:05となっている。
待ち合わせ時間は十時。つまりは五分遅れということになるな。
たかだか五分と思うだろうが、俺の待ち合わせ相手が五分も遅れるなど滅多にある事態ではない。
何よりもたった五分を待ちきれない俺がいるのだ。自分では気の長い方だと思っていたのだが、あいつを待つ時間がこれほど長く感じるほど俺はあいつ無しの生活というものが考えられなくなったらしい。
とりあえずは俺も我慢が効かないようで、そのまま携帯であいつに電話をかけようとした時だった。
「ゴメーン! 待ったわよね?」
カチューシャについたリボンがリズム良く弾んで、あいつが――――――――ハルヒが走ってきたのだった。
駆け足で来た割には息一つ切らせる事もなくハルヒは俺の真正面に立つ。
「どうした? お前が遅れてくるなんてあまり無いから電話するとこだったんだぜ?」
するとハルヒは抗議されてるはずなのに嬉しそうに笑うと、
「ん〜、ちょっとね。でもたった五分じゃない、あんたが時間に厳しいなんて思わなかったわよ?」
む、そう言われればそうかもしれんがそれは……………俺はお前が遅れるなんて珍しいと思っただけで、
「心配してくれたんだ?」
う……………その下から覗き込むような視線は反則だろ。図星を指された俺は黙って明後日の方向を見るしかなかったんだ。
だがなんでもお見通しな団長さんは満面の笑みで、
「ごめんね、その分思いっきり楽しんじゃうから!」
と言って俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
おいおい、それじゃ結局お前が楽しいだけじゃないのか? などと言えるもんじゃない。何よりもこいつが楽しんでいる姿を見られることが俺にとっても楽しいってことなんだからな。
やれやれだ、こいつと付き合いだしてから俺も随分と変わったもんだな。少しだけ苦笑いを浮かべながら元気良く歩くハルヒのペースに合わせるように俺も歩き出したのだった。




「とりあえずはどうする? いつものとこで茶でも飲むか?」
昨日はSOS団全員で居た喫茶店だが、最近は週二回ペースも当たり前になっている。当然翌日はハルヒと二人きりである、俺の週末はこの店と共にあると言っても過言はないだろう。
ちなみに土曜日の不思議探索の時は毎回俺が最後になって奢りとなるんだが、日曜日はほぼ同時かハルヒが遅れてくることもあり、支払いも割り勘もしくはハルヒが奢ってくれることすらあったりもする。
これはハルヒに言わせれば「公私混同はしないのよ!」ということらしい。しかし毎週末ごとに土日で態度が変わる俺たちを見て店員がどう思っているのか気にはなるな。
しかし今日はどうやらハルヒに目的があるらしい。俺の言葉に、
「今日は後からでいいわ。それより行きたいとこがあるの」
と言いながら脇目も振らず歩く。
「おい、そんなに急ぐな。腕組んだままなんだぞ」
「いいから! 早く行くわよ!」
まったく、このあたりは変わらないままなんだからな。とはいえこれも慣れたものだ、少しだけ歩幅を広げればハルヒの足取りにも合ってくる。
「どこに行くのかは教えてもらえないのか?」
「行けばわかるわよ」
それはそうなんだろうが、それでもハルヒは内緒にしたいらしい。こういうヤツだよ、こいつは。
「そうかい、それなら連れて行ってもらおうか」
とにかくハルヒが満面の笑顔なんだ、俺はそれが見れればいいんだ。
昨日の不思議探索の他愛も無い話などしながら二人で歩く時間も、こいつとなら楽しいもんさ。




などと思っていた俺だったが、さすがにこれは参った。さすがだぜハルヒ、お前はいつも俺の予想を超えてくれるよ。
「おいハルヒ?」
「なによ?」
「本当にここに入るのか?」
「その為に来たんじゃない」
と言われてもなあ…………………こういう所は俺なんかには敷居が高いんだよ。
目の前にあるのは高級そうな佇まいの店である。表に展示されているディスプレイには輝くダイヤの指輪。
そう、ここはジュエリーショップといわれる店なのだが、
「どうにも苦手なんだよなあ…………」
俺が小市民なのか、何故か腰が引けるんだよな。及び腰な俺にハルヒは、
「なによ、この間は一緒に指輪を見てくれたじゃない」
などと言うのだが、あれはお前の誕生日祝いを選ぶ為だったし俺としては内心は緊張ものだったんだぜ?
「それなら今日だって一緒じゃない。あたしが見たいからキョンについてきてもらったんだから」
「今日は何か祝える事があるのか?」
それともそういうのがないと踏ん切りがつかない俺のほうがおかしいのか? 躊躇う俺が余程面白いのか、機嫌が悪くなると思ったハルヒは逆にクスクス笑い出し、
「最近は男の人が一人で来ることだって当たり前になってるのにね」
そういう感覚が理解できんのだというに。とは言え歯医者の前で愚図る子供じゃないんだから、
「はいはい、今日はあたしの言うとおりに従うこと!」
今日は、じゃなくて今日も、だろうが。などと言えないままにハルヒに背中を押されて店内に入る俺なのだった……………



「んーと、それも見せてもらっていいですか?」
おいおい、いくつ見れば気が済むんだよ。こっちとしては呆れるしかない、というか女の買い物というのは服にしろ指輪にしろこういうものなんだろうか?
母親や妹ぐらいしか買い物についていった経験がない俺でもハルヒが買い物をするパターンというのがその少ない経験に酷似しているのでそう判断するしかない。
思えば朝比奈さんや長門と買い物をしていた時のハルヒもそうだったような。古泉と二人で男の悲哀というものを感じてしまったもんだったな。
などと韜晦してみるものの、事態は俺にとってはあまり良いとは言えないんだよな。それというのも、
「そうね、やっぱりキョンもシルバーかプラチナの方がいいかしら?」
とまあ、先ほどから何個も指輪を合わせているのが俺自身だということなんだよ。まさかこういう事だとは思わなかった俺は言われるままに羞恥プレイ中なのである。
嬉々としたハルヒとは対照的だろうな今の俺の顔は。どうにも顔を上げづらくなってくる、何度も言うが柄じゃないんだって。
しかもハルヒと店員はそんな俺の気持ちを知ってか知らずか次々と俺から見れば違いが分からない指輪を何度もつけさせてくる。
「なあハルヒ、そろそろ勘弁してくれないか?」
もう限界に近いんだ、ここから一旦退却させてくれ。
「なに? もうちょっとだけ見てから決めたいんだけど」
「あのなあ、何度も言うが男がアクセサリーというのはどうも性に合わないんだ。お前も分かってくれてるだろ?」
するとハルヒは形の良い眉を少しだけ顰め、
「知ってる。あんたがこういうのが苦手だっていうこと」
そのまま指輪をしている俺の手を取った。
「でもこれだけは駄目。あたしはあんたにアクセサリーを買いたいんじゃないもの」
ハルヒは真剣に俺のしている指輪を見つめる。
「あたしは、キョンがあたしのものだってことを分かって欲しいの。指輪は………………その為の証しよ」
何となくだがハルヒの言いたいことが理解出来る気がした。
俺にとってハルヒが特別な存在であるように。
ハルヒも俺のことをそう思ってくれている。
だからこそ形としておきたいんだ、俺がハルヒに贈った指輪と同じように。
ここまで言ってもらえる男が周りにいると思うか? 少なくとも俺以上はないと言い切れるね、勘違いとは言わせる気もない。
「わかった、そういうことなら俺も納得できるまで選ぶさ。ただしここまで言わせて何だが、できれば宝石が付いてるやつは勘弁してくれ。どう考えても似合うと思えん」
俺がそう言うとハルヒは苦笑いで答える。
「まったく、変なとこだけ頑固なんだから。いいわよ、石は付いてないやつね」
悪いな、それにずっとつけておくならあまり目立たない方がいいさ。
「絶対にずっとつけててよね!」
ああ、約束するよ。



そんな俺たちが店員の生暖かい視線に気付いて、お互いに顔を赤くしながらも最後まで妥協せずに選んだ指輪は箱に入ることもなく俺の右手の薬指で輝いている。
最終的に決めた物はハルヒの左手の小指に光っている物とほぼ同じデザインの白金のシンプルな指輪だった。
石がついていないとはいえ男性用はサイズが大きいせいか値段はそれなりにしたので、ハルヒが支払いをしようとした時に思わず少しでも手助けできないかと言ったのだが、
「大丈夫よ、その為にお金も下ろしてきたんだし」
ハルヒが今日遅れてきたのはそのせいだったのかと納得はしたが、やはり金額を思えば申し訳ない気持ちになってくる。
だがそんな心配は杞憂だった。ハルヒは優しく微笑みながら、
「ねえキョン、あんたがあたしに指輪を買ってくれた時に少しでも惜しいとか勿体無いって思った?」
んな事思う訳ないだろ、お前が喜んだ顔が見れたんだからな。
「それならあたしだってそうよ。だからキョンは喜んでくれればいいの」
そうか、駄目だな俺は。どうにもつまらん事ばかり考えてしまうようだ。
「そんなことないわよ、だってあたしの事心配ばっかしてんだもん。これでやっと一緒なのにね」
ハルヒは右手で輝く指輪を見せて笑う。その笑顔は指輪で光るダイヤより輝いて見えたんだ。
「さあ、この後は思いっきり遊ぶわよ! まずはその前にお昼にしないとね!」
おっと、もうそんな時間か? 時間を確認しようとした俺の手をハルヒがしっかりと握る。
「そんなの後にしなさい! 行くわよ!!」
はいはい、分かりましたよ。俺は握ってきたハルヒの手を一旦離す。
「え?」
ハルヒが驚く間も与えずに、指と指を絡ませてしっかりと手を繋ぎなおした。
「行くぞ、ハルヒ
そのまま歩き出した俺に、
「もう、キョンのくせに!」
笑顔のハルヒが寄り添うように歩き出す。お互いが離れないようにしっかり繋いだ指には指輪が光って。



その日も一日楽しかったさ、あいつといるときに楽しくなかったことなんて…………………まあ後から思い返せば楽しかったことにしておこう、うん。
とにかくハルヒといるということが俺の人生における必須事項である事だけは必然であって間違いはないんだ、と念を押せる程なんだよな。
だからこそ誓わねばならない、今日の夕方にハルヒと別れ際に交わした言葉に。
あいつは夕暮れの赤い景色の中で左手を俺に見せて言ったんだ。
「待ってるから」
と。
その小指には俺が贈った指輪が光っていたが、言いたかったのはそういうことじゃないんだろ?
「待っててくれよ、ハルヒ
俺は自分の右手の指輪を見つめながらそう言った。
あえて左手は見ない、そこにはまだ何もないのだから。
もしもそこに指輪があるとすれば、それはあいつの指にもあるはずなんだ。そうならないようなら俺は余程の甲斐性無しか大馬鹿野郎なんだろうよ。
「……………待たせるつもりもないからな」
この指輪にかけても、だな。
この日、俺が立てた誓いは決して忘れることはないだろう。俺自身が人生というものに初めて向き合った瞬間かもしれない。
大袈裟ではなく俺はそう思ったんだ…………………




絶対に幸せになろうな、ハルヒ