『SS』キョン……、の消失 8

そこはいつもの部室であり、違う部屋だった。
藤原さんの仏頂面ではない、守ってあげたくなるような天使の微笑みの美少女がお茶を淹れてくれてて。
橘とは似ても似つかない爽やかスマイルの少年が、あたしの前で将棋を広げていて。
窓際には九曜じゃない、けど物静かなショートカットの少女が分厚いハードカバーを手にしている。
そしてパソコンのある机には。
佐々木のような静かな湖に映る月のような微笑ではなく。
誰もが見上げたくなるような太陽の明るさの笑顔がそこにあった。
黄色いカチューシャが軽く揺れて。
あたしは………………
俺は…………………
……………………
「うわあぁっ?!」
あたしは布団を払いのけるように飛び起きた。
「な、なんなのよ一体………」
なんて鮮明な夢見てんのよ、えーとフロイト先生も爆笑ものってやつ?
でも、鮮明なのに記憶にない。これは九曜のナノマシンとやらの仕業かしら?
「…………汗、気持ち悪い……」
まだ弟も起きてないんだろう。あたしはもぞもぞとベッドから這い出し、シャワーをあびることにした。

「あー、やっぱ朝っぱらからシャワーってさっぱりするなあ。」
はじける水滴を見ながら、ひとりごちる。
いつもはギリギリまで寝ていたいんだけど、たまにはいいわね。
寝ぼけた頭がスッキリする頃には、あたしの調子も戻ったようだ。元々考え事が得意なタイプじゃない、考えるのは理屈屋の藤原さん辺りに任せよう。
あれは悪夢じゃなかった、それだけは間違いないから。
だってみんな笑ってた。多分あたしも。
だからそれはそれでいいんだろう。九曜か橘にでも話せば何かのヒントにはなるかもしれない。
そう思いながら登校すると、あたしの後ろの佐々木が変に楽しそうに話しかけてきた。
「おやおや、珍しく早起きだったようだね。しかも朝シャンとは何かの宗旨変えかい?」
なによ、あたしだってたまには弟の理不尽な襲撃を受けない爽やかな目覚めだってあるわ。
というか、朝シャンなんてよくわかったわね?
「それだけ洗いたてのシャンプーの香りをさせていたら、後ろにいる僕じゃなくても気付くよ。」
そう?結構念入りに乾かしたんだけど。
「くっくっく、君は君自身の魅力というものについてもう少し考慮するべきだと思うよ。少なくともこのクラスの男子は君の変化に気付いたようだよ?」
それはお前のような美人がいるからでしょ。あたしより常に視線を浴びてるんだから、そっちこそ自覚持ちなさい。
「僕は自分自身についてあまり関心が持てないんだ。特に異性を意識しようとも思わないしね、それよりも君のような友人と他愛の無い会話を楽しむほうが僕の性にあっていると思わないかい?」
それはどうかな。まああたしも人のことは言えないけど。
「おや?君は異性の目を意識しての行動ではなかったのかい?」
んなわけないでしょ。単に寝汗が気持ち悪かったからよ。
「そうなのか……………ねえキョン?最近君はよく眠れているかい?」
佐々木の綺麗に整った眉の根が潜まってゆく。
「どうも九曜さんも言っていたが、君の様子は僕から見ても少々疲れているようだ。原因に心当たりがあるなら僕でよければ相談してくれないか?」
あーあー、そんな目をしないでよ。佐々木は本当に心配そうにあたしを見つめている。
「んー、たしかに寝不足気味なとこもあるけど大丈夫よ。ちょっと深夜番組にはまっちゃってて、いや橘の奴にまんまとやられたみたい。」
実際、本当のことは言えないもんなあ。
「そうか、君が隠し事をしているなんて勘ぐってしまう僕はなんとも浅はかなものだよ。」
うん、さすが佐々木だ。やはり直感がすごい。
「あたしが隠し事をしたって佐々木には丸わかりよ。そんな演技力もないしね。」
そうおどけるあたしに、
「くっくっくっく、やっぱり君にはかなわないよ。まあ睡眠不足はお肌の大敵だ、気をつけたまえ。」
はいはい、お前がその肌にどのくらい気合を入れてるのかお教え願いたいわね。
「あいにくと僕は何も手入れのようなものはしていないんだ、参考にならなくてすまない。」
それ、全ての女子高生を敵に回す発言よ。
「これは失言。君も気分を害したかい?」
全然。と言うよりお前の機嫌が直ってよかったよ、いつもの理屈を面白そうに語るお前でいてくれ。
でも佐々木の微笑みを見てしまうたびに、黄色いカチューシャと100万ワットの笑顔がちらつくんだ。
あたしは………どうなってしまうんだろう?