『SS』キョン……、の消失 3

などというあたしにとっての高いハードルは後ろの佐々木には何の影響もなかったことは、お昼休みにお弁当を食べる姿を見れば一目瞭然だったりする。
あたし?これで食欲があるほど太い神経はしてないの。母さん、ごめん。
「とは言いながら、だし巻き玉子だけは口にする君はなかなかのものだと思うんだが?」
ほっといて、あたしにだって別腹はあるのよ。
「くっくっく、なら放課後まで取っておきたまえ。なに、ノートのほんのお礼を要求する権利は僕にだってあると思うのだよ?」
と言いながら佐々木はあたしの玉子焼きを一つ摘んだ。
ちぇッ、なにも言えない。
そしてあたしの午後は睡魔との闘いとなる。
あー、なんで窓際の後ろなんてベストスポットにいて寝ちゃいけないのよ!
『やれやれ、人にはああ言いながら自分は爆睡かよ。いいご身分だぜ』
は?少なくともあたしの後ろの席にいる奴は居眠りなんかしているのを見たことないわよ?
だからこそプレッシャーがかかって、あたしも寝れないんだから。
まあこの学校でそんなことしたら、あっという間に追いてかれちゃうけどね。
でも睡魔に勝ったからと言って授業内容が頭に入ったかと言えば、そうじゃないのは仕方ない。ということにしといて。
退屈な授業の板書きをノートに写す作業だけに終始して、やっと終業のチャイムを聞く。
ああ、進学校の悲しさよ。あたしに安らかな時間、つまり居眠りを。
「さあキョン、今日は掃除当番でもないんだから二人で部活としゃれ込もうじゃないか。」
なにその言い方。まるでデートの誘いね。
「僕にとっては数少ない自分の望む自分だけの時間だ。その最大の協力者たる君を誘うのに、僕はいつも高揚を抑えきれずにいるのさ。まるで舞台の初日を迎える演者もかくや、といった気分でね。」
はいはい、毎度大げさに言ってもらうと照れるのを通り越して呆れてきちゃうわね。
でも、佐々木がこの活動を楽しんでくれるというならあたしも居てよかったと思えてくるからどうしようもないわね。
「わかったわかった、行くわよ。行きますとも。」
連れ立って歩くあたし達を見る周囲の目が妙に温かいのがなんか癪だわ。
一応、あたしも佐々木もノーマルな、そう異性に対しての恋愛観はあるっての。
いや、佐々木は
「恋愛感情は一種の精神病みたいなものだよ。」
って言ってたっけ。
ん?佐々木以外の誰かも言ってたような……………
「おいおいキョン、急に立ち止まらないでくれないか?」
あ、ごめんごめん。
「まったく、今日の君はいつも以上にファジーだね。そんなに昨夜の夢が気になるのかい?」
うーん、夢というか………………ってあたしはいつもそんなにボンヤリしてんの?!
「くっくっくっく、気付かれたか。」
まったくもう。
渡り廊下を越えて、新築の校舎へ。
ここの4階がいわゆる文系の部室棟となったのは、あたしたちが入学してから。
それまでのは体育会系に占拠されたらしい。もともと進学校の我が校は、体育会系はほぼスポーツ推薦なので優遇されているのだ。
しかしそのおかげで綺麗な新校舎に移れたのは怪我の功名なのか、佐々木が望んだのか。
ともかくあたしたちの部室はその一番奥にある。
部室の上の方には『文芸部』の看板。
まあ今となっては違うものになってるけど。
あたしはそのドアをノックする。何故かは知らないけど、そうしないといけない気がするの。
「―――――――――――――」
この長い沈黙は、この部屋の主のものだ。あいつはいつここに来てるんだろ?
「やあ、こんにちわ九曜さん。」
律儀にあたしのノックを待っててくれた佐々木が先に部屋に入り、主に声をかけた。
「――――――――――」
1ミリもないような会釈で周防九曜はそれに答える。
その手には1冊の本。分厚いハードカバーなどではない、小さな文庫本。
あれ?九曜はハードカバーなんか読んだことないわよ?
いつもの窓際に座るその姿は長い黒髪に覆われて……………
『………………そう。』
????
今座ってるのは誰?!あんなショートカットの子、あたし知らない!!
「―――――どう――――したの――――――?」
い、いやなんでもない。珍しいわね、九曜から話しかけてくるの。
「――――あなたが―――――不思議な――――――顔?」
そんなだった?あたし、疲れてんのかなあ…………
「どうもキョンは何故か放心しているようなんだ。九曜さん、なにか解るかい?」
佐々木にまで心配かけてるし。
「――――――睡眠―――――不足――――――」
そうかな?あたし昨日も結構寝てたけど。
と、そこへ、
「もう!なんであなたと一緒にここに来なくちゃならないんですか?!」
「ふん、それはこっちの台詞だ。目的地は同じなんだから時間をずらすなどの工夫が出来ないのか?」
「何故私がそっちの都合に合わせるんですか!」
「なら僕がそちらの都合に合わせる義理もないだろう。」
はあ、やれやれ。落ち込みかけたあたしの気分なんてお構いなしね。
これだけ言い合いながら、何故かこの二人は揃って部室にやってくる。
「やあ、藤原先輩に橘さん。今日も仲がいいみたいだね。」
佐々木もさっきまでとは違い、やや苦笑気味だ。
九曜は……………もう本の世界に戻ってるのか。
「だ、だ、誰が仲がいいんですか?!」
「これを見て僕らの仲がいいとは眼科の診察を受けるべきだ。」
「ちょ、ちょっと佐々木さんになんてこと言うんですか!」
「ふん、僕はありのままのことしか言ってない。」
はい、やめやめ。あたしは橘をパイプ椅子に座らせる。
「ちょっとキョンさん!今日という今日こそはあの傲慢な鼻っ柱を叩き折ってやるのです!」
あー、それも毎日言ってるだろうが。
「それよりも僕は先輩のお茶がもらいたいね。」
「ふん、まったくお前らは茶の味わいというのが何時になったら理解できるのかね。」
嫌味を言いながらも藤原さんはお茶の用意をする。
この女だらけの空間で何故男の藤原さんが茶の用意をするのかといえば、初日に橘の淹れた緑茶を一口飲んだ藤原さんが
「お前らは茶というものがまったく分かっていない。嘆かわしいにも程があるぞ。」
と言ってお茶を淹れたのが最初だ。
それ以来、お茶は藤原さんが淹れるのがここのルールとなっている。
佐々木も九曜も気に入っているようだし、あたしも言うだけのことはあると思っている。つまり美味しいのだ。
『コスプレがないだけマシか』
いや、別に藤原さんの執事服とか見たくないけど?
『………さんのメイド服が懐かしいぜ』
いや、だから誰それ?!
「ん?なにか文句があるのか?たしかに今日は茶の温度を変えたが、それは湿度を考慮した結果でだな………」
あ、藤原さんのお茶は美味しいです、はい。
「む、そう素直に言えばいいんだ。どこかの奴のようにくだらない文句は受け付けないからな。」
「それは誰のことですか?!」
「まあまあ、私は藤原先輩にお茶を淹れてもらって感謝してるよ?」
「むう〜、佐々木さんがそう言うなら……………」
「――――――おか――――――わり――――――」
こうして文芸部の日常は過ぎていく。
佐々木は部室に備えつきの古いパソコンでネットサーフィンをしながら話し、あたしと橘はファッション誌を見ながら雑談。
藤原さんはお茶の管理に余念がなく、九曜は我関せずと読書三昧。
これが日常なのもどうなのかしらね?
『…………非日常の中の日常ってやつだ。』
そうかもね、あたしのこの声もその一つってやつかしら。
それに答えられそうなのは………………………あいつぐらいなもんかしら。
あたしは部活が終わったら話をしなくちゃいけない相手の事を考えていた…………………