『SS』ちいさながと 9

こうして俺達はようやく我が家へと帰りついた訳なのだが、なにかえらく時間がかかったような気がするのは何故だ?
コンビニエンスストアにて経過した時間は4分37秒。あなたが通常、私のマンションから帰宅する時間からすると許容範囲内。」
そういう問題じゃないような気もするが、とりあえずは家へ入るとしようか。
「ただいま…………」
と、いきなりの障害現る、だ。さすがのお袋の堪忍袋の緒ってのも切れるときがあるらしい。
さて、いきなりの最大の難関に俺は果敢にも立ち向かった。
言い訳はこうだ。いきなり俺の携帯に着信が入り、俺が出ると泣きそうな声で「俺、もうだめだ………」などとうわ言のように呟く男がいる。
男の名は谷口。いちおう友人の一人と言っておこう。
そんな謎の電話に友情を大切にする俺は取るものを取りあえずに急いで出かけてしまったのだ。
しかし心配した俺をよそに、結局谷口の話は女にフラレて自棄になっていただけだったというオチだ。
長門が本当に見えていないのか、横目で気にしながらの俺の説明に母親は何故か納得してくれたようだ。
思春期の男子の気持ちを汲んでくれたってとこか。
「でももう少し友達は選びなさいね。」
と言われたときにはちょっと参ったが。すまん谷口、今度弁当のおかずのトレード権をお前に譲ることにするから勘弁な。
しかし長門よ、人が必死に本当にありえそうなでっち上げを述べている時に足をブラブラさせるのはやめなさい。
そんなにカレーが待ちどおしいのか?それとも暇なのか?
暇だとしたら言い訳の一つも考えてほしかったぜ。
「まかせて。情報操作は得意。」
どういうことだ?
「彼は今日、長年メールをしていてようやく会えた女性に振られたことにする。」
そっちかよ!というか哀れ谷口。
明日の谷口に同情するべきか、いつものことと流すべきなのか考えつつも俺は長門のカレーを温めるために台所へと向かう。これについては母は何も言わないんだな。
ラップを剥がしてから蓋に穴を開けて電子レンジへ。
「まだ?」
いや、まだタイマーすらセットしとらんだろうが。
とりあえずスイッチオンっと。
「まだ?」
だから今動き出したところだから。
長門はレンジの中でクルクルと回り続けるカレーをひたすら見つめている。
ということは肩に乗られてる俺も動けない訳で。
小さな長門と共に回るカレーをチンと鳴るまで眺めていたんだよ、なんだかなあ。
そして温まったカレーとその他を持って自分の部屋へと戻る。間違いなくここで食うわけにはいかんからな。
「ゴミは自分で片付けなさいよ。」
という親の言葉が背中に痛いぜ。育ち盛りの食欲に逆らえなかったということにしといてくれ。
階段を昇って俺の部屋へ、っと。
おい長門、もう部屋に着いたんだからいい加減に降りてもらえないか?
カレーを勉強机に置くと、それに合わせて長門が肩から飛び降りた。よく見たら、こいつ土足だな。
などと思っていたら長門は靴を脱ぎ、
「……………お邪魔する。」
と言うと、きっちり靴を揃えてからカレーの前で正座した。
なにかおかしい気もするが、今の状態の何がおかしくないのかもよく分からんしな。
とりあえず、お待ちかねのカレーの蓋を開けてやる。
コンビニでもらったスプーンを置いてから、
「待たせたな、腹いっぱい食ってくれ。」
そう言って、俺は自分の分のサンドイッチの包みを開けて一口齧る。うむ、飯を食ったとはいえさんざん動いた後だから普通に食えるな。
長門なんかは帰ってから何も食事をしていないんだから、さぞやカレーも上手いだろう。
ところが肝心の長門は微動だにしない。
「どうした?食わないのか?」
「……………………食べられない。」
ん?どういうことだ?
「このままでは食べられない。」
目の前のカレーの海を見ながら長門は悲しそうに呟いた。
あ!スプーンがでかいんだ!!
というかカレーの容器そのものだって今の長門からしたらちょっとしたプールサイズだよな。
てっきり宇宙的なパワーで片付けるとばかり思っていた俺の配慮が足りなさ過ぎた。
「すまん。お前のことだから、どうにかしちまうと思ってたよ。」
頭を下げて謝った。これは俺が一方的に悪いよな。
「…………………………いい。」
これはいかん、長門のために俺は何か出来ないのか?
「では、食べさせてもらいたい。」
なんですと?!
「あなたに食べさせてほしい。お願い。」
そして長門は、そのまま小さな口を開けて動かなくなってしまったのだ。
えーと、これはあれか?「あーん」ってやつだよな?
おいおい勘弁してくれよ。いくらそのサイズとは言え、女の子に「あーん」って何でそんなこっ恥ずかしいことをせにゃならんのだ?
しかし俺の精神的葛藤をよそに、長門は口を開けたままで固まっている。
そうだ、この状況で一番困ってるのは長門じゃねえか。何を迷ってるんだ、俺は。
俺はスプーンを手に、カレーを少し掬う。長門サイズだとスプーンの端に少し乗せるだけだな、飯とカレーの割合にも気を配らねば。
「ほら、食え長門。」
上手いこと長門が食べたのはいいが、やはり一口サイズとはいかなかったか。
今度はもう少し量を調整……………………お、上手くいったな。
こうして俺は長門にカレーを食べさせたのだが、一口の量が少ないのでカレーが冷めないか心配だったのが杞憂に終わった事と、雛に餌をやる親鳥の気持ちが妙に分かった気分になったのが収穫と言えるのではないだろうか。
あんなに大変なんだな、親鳥って。何回もスプーンを動かすと腕も張るんだな、食事で筋肉痛の心配をするとは思わなかった。
しかも綺麗にカレーは無くなった。一体どこに入っていったんだ?
とにかく長門に食事をさせることに成功した俺は、ほったらかしになっていたサンドイッチに手をつけた………………