『SS』雨が降ったら
その日、というかここ二、三日はどうにも天候の機嫌もイマイチらしく、雨が降りそうで降らない愚図ついた状態が続いている。
今日だってそうだ、空を見れば曇天そのものの灰色空間である。
朝から降水確率はフィフティ・フィフティというどうにも俺たち任せの予報が流れ、俺も言われるままにカバンの中のある程度のスペースを折り畳み傘のヤロウに占拠されてしまっている。
とはいえ、雨は降ってくる様子はなく、余計な荷物の重量(大した事は無いが精神的に重い)と、曇り空は何だかんだで気が滅入る事が重なり、日課のハイキング登校も絶賛拒否反応中である。
こいつが役に立ったといえば、登校していきなり、
「あんたのことだから傘なんか持って来てないでしょ?!」
などという失礼なことをぬかした後ろの席の迷惑女に自慢げに傘を見せ付けられたのが、今のところの活躍だな。
ただ、その後から後ろの黒いオーラが急激に増していき、クラスメイトに冷ややかな目を向けられたのは俺が悪いっていうのか?!
まあそんなことがあって、非常に居心地の悪い授業を気圧の変化のせいにした睡眠などでどうにかクリアした俺は、もはやパブロフが実験する気も起きなくなるほどの当然さでSOS団の部室へと向かう。
不機嫌オーラ全開の団長の後を少し離れながら、だ。なんというか近づくと色々ヤバイ気配がしないか?
「みくるちゃん、お茶!!」
ノックもなしでドアを蹴飛ばした団長様は、挨拶代わりにそう言うとドッカとばかりに自分の椅子にお座りあそばされた。ドアだけじゃなくて椅子も寿命が尽きる時は早いかもしれんな。
「は、はあ〜い、ただいま〜」
幸いな事に着替えも終了していた我が麗しのスイートエンジェルは、キュートなボイスでパタパタとお茶の用意を始めていた。ご苦労様です。
俺もとりあえず、自分の席に着いてから正面を見れば、予想通りに古泉がいない。
「あ、古泉くんはその、アルバイトで……………」
まあそうでしょうね、あいつの様子を見てりゃ分かります。
「もう! 古泉くんも居ないの?!」
それで被害を拡大させてりゃ世話がないな。せいぜい頑張ってもらおう。
「有希は? 有希まで欠席なんて許さないんだからね!!」
なんと、長門までいないのか? 見ればたしかに窓際にいるはずの無口なインターフェースの姿もない。
どうしたことだ? 古泉はともかく長門がいないというのは意味が違ってくる。あいつが居ないと言うのはすなわち事件の可能性が………
「長門さんならコンピ研だそうです」
なかったのか。そうだ、長門はコンピ研の名誉部員とやらになってから、ちょくちょくとお隣さんへお邪魔しているらしい。
「なんですって? SOS団の活動よりコンピ研を優先、違うわね、コンピ研の連中もあたしに無断で有希をたぶらかすなんていい度胸してるじゃない!!」
誰がたぶらかされてんだ、朝比奈さんなら分からなくもないが長門がそんなのに引っかかるわけないだろう。
とはいえ、それでなくとも不機嫌な団長の火に油を注ぐわけにもいかんからな。
「わかったよ、俺が長門を呼んでくる。お前はとりあえず朝比奈さんのお茶をありがたーくいただきながら待ってろ。」
言いながら俺は部室のドアを開けていた。とにかくハルヒの直談判だけは阻止しないとな。
さて、お隣さんのドアはウチと違って傷一つないなあ、やっぱ修理費を卒業する時に払わなきゃならないのか? それなら請求書はハルヒ一人に回してくれないか? とか思いながら一応の礼儀としてノックする。
「どうぞ」
うむ、男の声で呼ばれるのはイマイチだな。などと朝比奈さんの存在の重要性を再確認しながら中へ。
むさくるしい男どもがなにやらコンピューターに囲まれてる、というほどのことはないんだが、イメージ的にはそんなコンピ研なのだが、
「やあやあ、どうしたんだい? あ、長門さんに用事かい?」
などと妙にフレンドリーな関係となった部長氏に迎えられると文句など言えるわけはない。
どうも部長氏にとって、俺は長門をコンピ研へと誘えた功労者として認識されているようだ。
「すまないが長門さんには今ウチでやってるプログラムの最終チェックをお願いしてるんだ、もう少し時間がもらえないかな?」
そうですね、俺としては構わないんですが団長が只今ご機嫌が斜めになっておりまして、はい。
「ううーむ、僕らとしてもここで長門さんに抜けられると大いに予定が狂ってしまうんだが…………」
はあ、というか長門に頼りっきりじゃないすか、それ?
「いや、僕だけならなんとでもなるんだが何しろ他の部員がまだそのレベルまで来ていない現状で………」
と、どうやら部長氏の自慢大会が始まりそうな雰囲気のところを、
「終わった」
という背後からの声で中断された。おう、すまんな長門。
「え? もうかい?! そ、そんな早くに………」
まあこいつなら長々とやろうと思えばいくらでもやるでしょうし、早めにと思えば一瞬でしょうね。
「では部室へ」
「あ、ああ、ありがとう………」
呆然とする部長氏を残して俺たちはコンピ研を後にした。あまり時間をかけずに済んだんだから良かったな。
「あなたが時間がかかると、涼宮ハルヒが乱入する恐れがあった」
そうだな、多分時間の問題だったろうな。
「おそーい!! あんた、有希一人迎えに行くのにどんだけ時間かかってんのよ?! まさかコンピ研でゲームとかやってうつつを抜かしてたんじゃないでしょうね!?」
そんな時間あるかい。この怒鳴り声で分かるだろ?
「まったく、最近みんな弛んでるわ! ここで何かイベントでもないかしらね?」
いや、あってもらっても困るのは俺なんだが。
「あーもう!! 雨も降るなら降る! 降らないなら晴れる! ってハッキリしなさいよね!!」
すごい八つ当たりだな、曇りなだけで雨は降ってないんだからいいじゃねえか。
「それなら晴れたっていいじゃない! なんか中途半端で嫌なのよ、曇り空って!!」
そうかい。いいからマウスを引っ張りすぎるな、切れたらどうすんだ? 修理費なんかないぞ?
「コンピ研から有希のレンタル料として徴収するからいいわよ!」
よかねえだろ。どんだけコンピ研を泣かせりゃ気が済むのかね。
「はい、長門さん。お茶です」
「……………」
まあそんな感じでSOS団はいつもの通りだったんだな。古泉? 帰れるのか、あいつ。
パタンと本が閉じられて、チャイムが鳴ると同時に、
「じゃあ雨が降らないうちに帰りましょう!!」
というハルヒの号令で朝比奈さんの着替えのために俺は部室の外へ。
結局古泉が帰ってこなかったので一人ぼんやりとつっ立ってると、
「ちょっと、ちょっとちょっと!」
なんですか、メタボ双子。
「誰がだ、君、長門さんに用があるんだが」
コンピ研部長氏はお隣さんのドアから半分だけ顔を出して俺を呼んだ。なんで出てこないんですか?
「またあの団長に見つかるとうるさいからな、とりあえず君しかいないのを確認してからということになったんだ」
なるほど、気持ちはよくわかる。しかし長門ならもう用事は済んだんでは?
「あの後、新たな障害が見つかったんだ。それで長門さんの協力が仰げればと、」
だから長門に頼りっきりじゃねえか。
「そうは言うが、彼女が組んだプログラムは高度すぎて彼女以外触れない部分が多いんだ。僕だって自分の分が精一杯でそっちまであたれないし」
うーむ、長門ならありえる話だからなんとも言えん。わかりましたよ、朝比奈さんの着替えが終わったら長門に伝えておきます。
「おお! 恩に着るよ!!」
それだけ言って部長氏は再び部室の中に入ってしまった。本気でハルヒに顔を会わせたくないんだな。
「やれやれ、古泉がいたら押し付けられるんだが」
とにかく中で嬌声を上げている朝比奈さんの無事を祈りながら、そのおかげでハルヒに今の話を聞かれなかった事を感謝した。もし耳にでも入ったら何をしでかすか分からんからな。
「ということなんだが、頼めるか?」
「了解した」
朝比奈さんの着替えが終わり、下駄箱でハルヒたちが騒いでいる隙に長門にさっきの話をすると、あっさりと長門は首肯してくれた。
どうやらこいつにとってもコンピ研での活動はそれなりに楽しいようだな。
「ふっふーん、あんた、せっかく傘持ってきたけど使えないから損した気分でしょ?」
いや、そんなでかい傘を持って帰らなきゃならないお前に比べれば折り畳みの俺の傘なんて可愛いもんさ。しかしまるで二人は入れそうなでかい傘なんて持ってくるなんて用心深いにも程があるだろ。
「な?! う、うっさーい!! あんたに言われたくないわよ!!」
何故そんなに怒られるんだ俺は? しかも顔を真っ赤にされて。
「あたしも傘持ってこなければよかったですね」
いいえ、朝比奈さんのような方が可愛い傘を持って歩いてらっしゃたら、雨も気を使って降り出すやもしれません。
「ちょっと! あたしならいいわけ?!」
お前、そんなでかい傘広げて帰りたくないだろ? それなら降らないうちに帰ろうぜ。
「…………もういいわよ!! さっさと帰るわよ、バカ!!」
なんで怒鳴られるのかサッパリ分からん。朝比奈さんは苦笑いしてるし。
ということで帰宅となったんだが、ちょうど坂道の途中で、
「忘れ物をした。先に帰ってもらって構わない」
と長門が言い出した。どうやら先程のコンピ研への出動の言い訳を自分なりに考えたらしい。
「そうなの? 別にいいのよ、待ってても」
こんな時だけは妙に気を使うハルヒ。こいつは長門には甘いとこがある。
「雨が降る前に帰ったほうがいい。気にしないで」
お、長門が会話として成り立つ気の使い方をしている。変なとこで長門の成長を感じ、感慨深くなる俺。
「そう? それなら有希も早く帰りなさいよね。さ、有希がああ言ってくれたんだから雨に遭わないうちに帰るわよ、みくるちゃん!」
おい、俺はいいのかよ? などとツッコミながら先を行くハルヒたちを追う。
その途中でふと振り返ると、長門はあの坂道を再び登っているところだった。
あれ? そういやあいつは…………………
ハルヒたちと別れ、家に帰り着いたとほぼ同時に雨が降り出した。いや、いいタイミングだ。
しかもさっきまでの様子が嘘のようなどしゃ降りだ、こりゃ折り畳み傘ぐらいじゃどうにもならなかったかもしれん。
「おかえりー、よかったね、雨降らなくて」
妹に迎えられ、とりあえず部屋へ戻って着替えるか、と思った瞬間。
何故か坂道を登る長門の姿がフラッシュバックしてきた。
と同時に俺は傘を持って外に飛び出していた。折り畳みじゃない、親父が使ってるでかい傘を持って。
「何故ここに?」
さあ、なんでだろうな。なんとなくだ。
「大分濡れている」
ああ、つい走ったんでな。風もそこそこ強かったから傘も大して意味無かったかもな。
「どうして?」
いや、お前が傘を持ってないと思ってな?
そう言った俺を見ている長門の瞳が、俺に分かるギリギリのところで見開かれるのを見逃す俺じゃないさ。
「何故?」
あー、なんだ? あの時ハルヒや朝比奈さんが傘の話をしていたのにお前だけ何も話してなかったからな。それに、
「それに?」
坂道の登るお前を見たときに、こいつ傘持ってないんじゃないか? って思っただけさ。間違ってたか?
「間違っていない、私は傘を現在所有していない」
1ミリほど小さく首を振る長門。やっぱりな。
「私の計算では降雨前までに帰宅が可能と判断していた」
それがコンピ研のせいで予定が狂ったってわけか。
「そう。予定外。しかしこの程度の雨量ならば行動に支障は無しと判断したので、帰宅するところだった」
そうだな、お前にとってはこのくらいの雨なら何てことは無いだろうな。
「それならば何故?」
珍しいな、お前が疑問系だらけってのは。まあそうだな、たとえお前が平気でも周りはそうは思わないってことだよ。
「……………」
小さく首を傾げるインターフェースさんには分かんないものかね?
「女の子が一人、雨に打たれて帰るのはよくないってこった。傘がないなら持ってくりゃいい、そんだけだろ」
職員室で傘を借りるって選択肢もあるんだろうが、
「なに、このくらいはお前にしてもらった借りを返させてくれよ」
そうさ、そのくらいなら俺にだって十分出来ることなのさ。
「………………お願い」
お安い御用だね。俺は傘を広げる。
傘からはみ出さないように身体を寄せる長門の小さな肩を、俺は抱き寄せねばならないのか散々悩まされたんだがな。
結果として長門は濡れずにマンションまで帰れたということで俺の悩みがどう解消されたかは察してほしいものだ。
言い訳なあとがき
「ちいさながと」バージョンの雨テーマSSも書きたくなったね。
ただ、やっぱ「サムデイ〜」はいい作品だったと実感。